集中力について思うこと

最近、集中力がなくなってきた気がします。
いや、元々なかったんですけどね((


それについて適当に。



やりたいことが多めでそれを消化するために何かをしながら何かをするというように並行して物事を行うことが多くなってきました。例えば、とても面白いとは言えないけど最後までの展開は気になるというドラマを観ているとき。とても面白いドラマであれば1時間を使ってじっくり鑑賞したいですが、展開が気になるだけならテレビをつけておいて何か別のことをしながら要所だけを観ておけばいいということになります。時間があるなら本当はちゃんと観たいのですが、他の物事を消化できないことよりも要所だけ観る鑑賞法にした方が効用減少分を低く抑えることができます。
因みに、“例えば”で説明すればニュアンスを伝えるのが簡単そうだったので具体例で書きましたが、こういった「一定の時間がかかるけど、その時間ずっと集中している必要はない時間」を何と呼べばいいのかいい表現が思いつかなかったからです。いい表現を募集します((


「おばあちゃんが言っていた。『二兎を追う者は二兎とも取れ』」と昔言っていました。。この言葉の示すところは妥協をしてはいけないという意味で、AKBのドラマでも同じ諺を大島家の家訓だと言っていたような。
しかし、先日刊行された落合博満の『采配』という本では「大きな成果を得るためには、一兎だけを追え」という話があります。三冠王を取るというのは三兎を追って三兎を取るような気持ちではありますが、そうではなく野球で大きな成果を残すことを選んだために、仮定や子育てなど犠牲にしたくなくても犠牲になってしまうものがあったそうです。



大きな成果を求めているわけではありません。
先のドラマでしたら消化にかかる時間が1時間と決まっていましたが、そうでない場合もあります。30分かかる作業A,Bがあったとすると、AとBを消化するには60分の時間がかかります。これを並行して行うとすると50分で作業が終わるので、10分の時間を別の作業に充てることができます。しかし、作業A,Bにかかった時間はそれぞれ本来の30分ではなく50分です。作業にかけた密度が変わってくるので同じ作業を完了させたとしても返ってくる経験値は物事を並行して行う方が低くなってもおかしくありません。この例では別の作業に充てることができるようになった時間が10分しかありませんが、実際にはこれが1時間以上になることが多いです。仕方なくこの形を取ってはいるものの、1つの作業に集中できず見落としてしまっている部分があるとしたら、それは10分や1時間以上の別の作業に充てる時間を確保できることよりも損失になってしまいます。1番怖いのは見落としてしまっているものは見落としたことに気付けないことです。


ところで集中力というのは、どういうものを指すのでしょうか。
「集中している」と言っても人間の集中力はそれほど長くは続かないため、集中している時間の中でも集中に対する深さに変化があると思います。集中力があるというのはこの深さが深い一点集中型を指すのでしょうか、または一定の深さを継続できる時間が長い継続集中型を指すのでしょうか。一点集中型も継続集中型も集中力がある人だと思いますが、深さと長さというように評価基準が違います。基準が違うなら一点集中力や継続集中力というように能力を区別する必要がありそうです。
特に区別もされていないことを考えると、集中力は深さと長さのバランスを指すのではないかと思います。「深く短く」でも「長く浅く」でも集中力があると言えるので、そのバランスは深さと長さの積にあたるのかなぁと思いました。もっとも、積と言っても値が定められるものではありませんが。。。