『八重歯ガール』の感想

『八重歯ガール』を読んで。



まず、この本の存在を知ったきっかけですが、新聞の広告欄でタイトルを目にしたからです。とはいえ、私は別に八重歯が好きというわけではありません。
「かわいい」という言葉は日本独自の概念としてのニュアンスを含んでいると思っているのですが、なぜ人がそれをかわいいと感じるのかという理由に興味があり、八重歯もまたかわいいと感じる要素の1つであるようなので、八重歯が好きな人が八重歯のどういうところに惹かれているのかを見ることができるのではないかと思い、この本を手に取ることにしました。


因みに、読み始める前に八重歯の有名人を思い浮かべてみると、脳内で挙がったのはAKB48板野友美だけでした。しかも、「あー、板野友美は八重歯だね」というイメージではなく、「板野友美は八重歯だよね、って言っている人がいたね」というイメージでした。このようなイメージが湧くということは私が今まで歯というパーツに関して注意を払うことが少なかったからではないかと思いました。


そういう意味では、やはり八重歯という言葉に対する定義が欲しいと思いましたが、読み始めると八重歯の定義は観る者の主観も含めた曖昧な定義だとして、「あの人は八重歯か否か」という議論は不毛なものとされています。
ただ、個人的にはその議論は不毛なものではないと感じています。というよりは、ある八重歯愛好家の人が「あの人は八重歯である」と感じるのに別の愛好家は「あの人は八重歯でない」というように感じて、「あの人」を対象とした八重歯の良さを共有できない(後者は八重歯でないと感じているので共有できるはずもないのですが)のは、非常にもったいないと感じます。
何が言いたいかというと、定義が個人個人で変わってくる点に関しては納得はできるのですが、愛好家なのであれば他人に言語表現で伝えられるレベルでの定義を自分の中で明確にしていてほしいということです。なので、正確には「あの人が八重歯か否か」というよりは「個々人の八重歯の定義について」の議論が不毛だと感じていないというところでしょうか。


だいぶ話がそれてしまいました。
読み進めると、海外では八重歯…正確には歯並びが悪いということは忌み嫌われることが多いようです。日本でなぜ八重歯が受け入れられるのかの考察がされているのですが、「八重歯が受け入れられるというのはマイナス要素ではない(嫌われているわけではない)という程度のニュアンスしか含んでいません。なので、ここで書かれている幾つかに関しては日本人が歯並びに対して無頓着であることの説明になりますが、一部の人がこういった理由で八重歯が好きだという説明にはなっていません。


「かわいい」というのは喪失感からくる嘆きの中でときめきを見つけたときの感情からくるものだと別の本で読んだことがある(だいぶ前の話になるので全然違った文脈だったかもしれません、申し訳ないです)のですが、そういう意味では何かを失った(不完全な形である)八重歯に「かわいい」と感じるのは不思議ではありません。わびという言葉があるように不完全なものに「かわいい」というときめきを感じる伝統も理解はできますが、現在の日本人にまでその心が継がれているかどうかは定かでないので八重歯がかわいいという根拠としてこれを主張するのは難しそうです。
因みに、理由の一つとして挙げられていた高貴なものへの憧れというのもありましたが、これも同じく今の社会で潜在的にその心が継がれているかどうかは分かりません。


そういう意味では、幼少期への憧憬や象徴的な意味を持つという説は納得しやすいものかと思います。「子供っぽいのが好きだ」という好みの人もいますが、そういう人は幼少期への憧憬を抱いていることも多く(私が帰納的に感じたことなので正しい統計ではありません)、それは自身の経験からくるものです。八重歯が人に与えるイメージには「若い」「快活」といった「子供っぽさ」を思わせるような要素が多分に含まれているので、それで八重歯が好きだというのなら十分な説明がつくかと思います。この場合は八重歯そのものが好きというよりも八重歯が本能的に思い出させてくれる子供っぽい要素が好きという方が正確かもしれません。
ただ、「八重歯に噛まれたい」という嗜好の人もいるようで、そういう方は八重歯そのものが好きだということなのでここにあるような理由では説明ができません。今後、時間があったら考えてみたいかと思いますが、私が「噛まれたい」と思ったことがないので…((


続いて、八重歯ガールの歴史が綴られていきます。
100年以上も前から始まり、写真とともにそれぞれの時代の八重歯の有名人が挙げられていくのですが、個人的にちょっと好きだった芸能人も八重歯ガールとして挙げられていましたが、その人は八重歯だというイメージがない人がほとんどでした。序盤で「八重歯の定義は各個人の主観」としてはありますが、本当に八重歯だったかどうかあやしいラインの人もいたりしてちょっとこじつけたような感じが見受けられました。しかし、最近の八重歯ガールに関しては有名な女優だけにとどまらず、芸人・声優・読者モデルというように多岐に渡っての調査を進めている点に関しては、さすが八重歯愛好家を代表して執筆をするだけの熱意があると感じました。


最後には、八重歯の火付け役となったとされる石野真子のインタビューが掲載されていますが、大河ドラマ「いのち」のときに既に八重歯は矯正されたそうで、調べてみたらそれは1986年の話…初めて石野真子を見たのが2004年の特撮・デカレンジャーである私が彼女に対して八重歯のイメージを持っているはずがありませんでした。


やはり、私は歯に対する関心が足りなかったのだと感じたと同時に今後は歯に対する関心を手に入れたことで、今後は生活の中から何かしら新しい発見に出足易くなるかもしれません。
また、私はこれを通しても八重歯が好きという特別な感情は抱きませんでしたが、八重歯文化が繁栄しなくとも積極的な矯正などで絶滅することは避けて欲しいと感じます。八重歯は成長過程で自然発生(?)するかわいさのポイントであるので、そういう天然的にかわいいと感じる(少なくともそういうように感じる人がいる)要素がなくなってしまうのはもったいないように感じます。とはいえ、八重歯がコンプレックスでしょうがないという人は矯正することで自身をより好きになれるかもしれないので、八重歯がチャームポイントだと思えるまで矯正しない方がいいなんて声高らかに言えないですね。機能的に不便な面があることも知りませんでしたが。
ただ、仮にそういう相談をされたら、その時点ではとりあえず矯正することは止めるような気がします((


あ、記事を投稿する前に思い出しました。
そういえば、KOTOKOは八重歯でしたね。これは板野友美よりも鮮明にイメージできます。彼女も少し年齢を重ねた人ではありますが、若さというか無邪気な感じの表情を見せてくれると感じるのは八重歯がそういう印象を私に与えているからというのが大きいかもしれませんね。