「それはとっても面白いなって」〜アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」の感想〜

魔法少女まどか☆マギカ」を視聴したので感想。


私がよく参加している伝説厨オフの参加常連メンバーの多くがこの作品が好きで、上位入賞の賞品もまどマギ関連のものが並んでいました。ずっと分からないままでパロディ系のネタを把握できないのも悔しかったことと、普段アニメを観ないという知り合いもこの作品は観ていたということもあり、観ようと思い続けていたものをようやくレンタルすることができました。


視聴した時期はおおよそ1ヶ月前。見終えた直後にたまたまニコニコ動画で一挙放送を行っていたり映画の公開も行われているようですが、それらは全く知りませんでした。お話についていくことができたり話題のネタになるという意味ではいい時期に観れたのかなと思いました。



「“魔法少女”という言葉だけ聞くと幼い少女が夢見て憧れるようなそれを彷彿させるかと思います。が、実際はそうではなくてシリアスでハードな作品」・・・ということを事前に聞いてしまっていたため、“魔法少女”の響きに惑わされて衝撃を受けるということがなかったのが残念です。それを知らずにリアルタイムで見ていた人は勝手に抱いていた期待を裏切られるような形となってとても楽しめたのではないかなと思います。私としては、シリアスの調子で進む作品を好む傾向があるので期待は持てていました。
また、セリフのパロディや雰囲気などからキャラクターに関してもある程度事前にイメージができあがっていたのですが、それはそれで実際との差異を見て楽しむことにしました。


とりあえず、第1話。まず、鹿目が「かなめ」と読むことを知る((
ちょっとして、事前に名前を知っていた美樹さやかがいきなり登場。魔法少女の資格は誰でも持てるものではなさそうなことからその他の魔法少女とはまどかが魔法少女になったことで知り合うのかと思っていたので、同級生という配置が意外でした。また、活発なキャラクターだとは全然知らなかったので二重の驚きを受けました。
転校生の暁美ほむら登場。名前は聞いたことはあったものの実際にどういうキャラクターデザインがされていたのか初めて見ました。名前とは裏腹に甘い・緩い系のふわふわしたキャラクターというイメージがあったので、出てきたときには凛々しいキャラで意外でした。
そして、放課後。ほむらがキュゥべえを追い掛けるシーンで巴マミ登場。登場したときは同級生の子が仁美という名前だったことをその場で思い出せなかったため同級生と勘違い。
どうして、こんなにも事前に聞いていたイメージと実際のキャラクターのギャップが生まれているのでしょうか((


OP曲の「コネクト」は「これがアニソンです」という特徴を抑えきっているような印象を受けました。歌詞は聞き取れていませんでしたが、どうやらほむら視点が描かれているようで、映像ではまどかが中心になっているのはほむらの視界に映るまどかを描いていたからなのでしょうか。時折、ほむらも現れてはいますけど。


「とりあえず3話まで観てみて!」という前評判はよく聞いていたので、DVDの巻数的にもちょうどいい4話まで一気に観ることに。
一般的(?)な魔法少女風で話が進んでいたのできっとここで一種の絶望を味わうのだろうと思い、観ているとマミがほむらに手を出させず魔女に立ち向かっていってしまったため、彼女はここで命を落とすのだろうと思うと本当にその通りに。3話に衝撃的な展開が待っていると分かっていたため期待していたほど過激なことが起きたわけではなかったなという印象です。なので作品を他人にオススメする人は具体的な話数や衝撃展開が待っていることを予測させるような紹介の仕方をなるべく避けるべきだと思いました((
魔女の貼る結界・魔女そのものの描写はキャラクターや通常の風景と画の風合いが異なるので一見するとふざけているようにも思えるのですが、このふざけている風合いがちょうどよく不思議の国のアリスを思い出させるような夢のような雰囲気で魔法のファンタジー性と非現実性がうまく描かれていたと思います。もっとリアルな魔女にグロテスクな殺され方をされていたら残酷なだけでは済まなかったと思います。
この回でEDがまどかのキャラクターソングから変更。1話冒頭の戦闘シーンでも流れていた「Magia」。後から言われて気付いたのですが、テロップ(?)の文字が赤色に描かれていますね。赤色で名前を書くのは良くないというのは広まっているだけに新鮮でした。気付かなければ意味がなかったですが((


魔法少女は契約の際に願い事を一つすることになっていますが、マミが命を落としたことでまどかは魔法少女になる決意をするのかと思いきやそうではなく。そして、さやかが魔法少女となる。その回の冒頭でさやかの声で回想するようなナレーションがありましたが、他にはそういう演出はなかったような気がしますね。
「魔女に殺されても人間にはそれが見えないから自然災害や自殺の事件があったというように扱われる」というような表現がありましたが、まどかが結界の中で直接的に殺されそうになったのはまどかには魔女や結界やそういうものが見えているからなのでしょうか。この場面の他に人間が襲われている描写は2話で屋上から飛び降りたOLだけだと思いますが、どちらも意識はなく操られたように自殺を図ろうとしています。まどかの視界に結界の中にまどか以外がいる描写はされなかったので、死ぬ間際まで魔法のことを知らずに人間は死んでしまうのですね。それでも仁美らは事件時の記憶がありませんでしたが、OLは飛び降りようとしたことを自己嫌悪していましたよね。記憶の有無は何を基準に分かれるのでしょうか。
喜多村英梨の戦闘シーンの声がかっこいい!


佐倉杏子の登場。このキャラクターは他とは違って少し声が幼かったこと以外は事前に知っていたイメージに近いキャラクターでした。杏子を見て八重歯はこのように描くのかと感心していました。逆を言えば、歯を描かないでキャラクターを表現している作品で歯をつけることで八重歯だと観る側が認識できるほど八重歯というのは特徴的なものなのだと思いました。


これは見返してから気付いたことなのですが、6話冒頭でキュゥべえが実はソウルジェムの話をしている際に「魔女の孵化」という表現を持ち出していました。魔法少女の結末をわざわざ語ろうとしなかったキュゥべえですが、嘘はついていないのだなと思いました。また、このときにさやかのソウルジェムを浄化して「これも役割のうち」という風に言ってはいましたが、キュゥべえが言っていましたが、何のために浄化するのでしょうか。キュゥべえは後にもまどかに対して「宇宙の法則さえ塗り替えてしまう魔法少女になるかもしれない」という風に言ってましたし、後からすればヒントになるような言葉をいくつも残していたんだなと思います。
そして、魔法少女になる際にその魂をソウルジェムに移しているということが明かされます。キュゥべえが「どうして人間は魂の在り処に拘るのか」という風に言っておりましたが、実際にそれらが分離する経験をしたことも見てきたこともないためかそれがどれだけひどいことなのかはあまり感じられませんでした。これは精神やら魂やら身体やら別のジャンルとしての考察が必要そうですね。というか、その前に私の感情が鈍すぎるのが問題でしょう((


さやかの祈りによって怪我を克服した上条に仁美が思いを寄せていることをさやかに打ち明けて告白の宣言をしますが、時間を与えるのは地味にずるくないですか。マンションの前でさやかが泣いた描写を見ると身体がしっかりさえしていればしっかり仁美と戦い(?)友達のために諦めるという選択はしなかったと思うのですが、先の人に選択権が与えられるということはそういうも考えられると思いますし、その選択を相手側だけに委ねるのはずるいと思いました。もちろん、友人の性格をしっかりしっているからこその選択だったのかもしれませんが。
マミが「魔法少女になったら恋してる場合じゃない」というようなことを言ってましたが、彼女も気付いていなかったとはいえそのようらしいですね。


ほむらが何度も同じ時間に戻りやり直すシーン。やり直す前のまどかはかなりポジティブな性格のようにも思えるけど、それは魔法少女になって祈りを叶えたからなんですよね。そのときはどんな願い事を叶えて契約をしたのでしょうかね。
マミが最初からワルプルギスの夜がやってくることを知っていたのは気になりました。マミに関してはほむらが魔法少女が魔女になるということを知ったやり直し周で「魔女になるなら魔法少女なんていなくなればいい!」と杏子のソウルジェムを砕きましたが、まどかはよくここでマミのソウルジェムを砕いたなと思いました。時間を繰り返しているうちに性格にも変動があるのかもしれませんが、主人公であるまどかは魔女で争う必要性も感じていないしみんなが幸せになることを真剣に想っていたと思うのでここでの行動は意外でした。


10話で回想があるということは、11話がワルプルギスの夜を迎えるまでの準備回で12回がワルプルギスの夜を迎えた最終回だと伺えます。大きなイベントのある回を迎えるために準備回のようなものを設けるのはあまり好きではないんですよね。確か最初にそう感じたのはライトノベルの「灼眼のシャナ」だったと思います。
その11話でキュゥべえが言った言葉で不条理な祈りが世界の歪みを生み呪いに繋がるとありましたが、逆に不条理でないものなら呪いにはならないのかと思いそのような祈りで契約をかわしたまどかがワルプスギスの夜を滅ぼすという結末を予想していましたが、全く当たっていませんでした((


ほむらが時間を操れなくなった理由は分かりませんが、駆け付けたまどかが魔法少女として契約。その祈りは壮大過ぎて予想がつきませんでした。ワルプルギスの夜もまた誰かが魔女になったものだと思っていましたし、魔法少女が魔女にならずに消滅するのであれば魔女は生まれず魔法少女が戦う理由もなくなるのではないかと思いましたが、それはまどかが宇宙の概念と化した後のエピソードで描かれていますね。
終末の様子を見ていて、数ヶ月前に視聴した「神無月の巫女」を思い出しました。この作品もメインヒロインがもう一人のヒロインを想い消えていく作品でした。


パロディネタを覚えるために観始めたというのもきっかけとして大きいところだったはずなのですが各話のタイトルも意外と覚えられていないです((
そんな中印象に残ったのは「誰かの幸せを祈った分、誰かを呪わずにはいられない」というセリフ。“呪う”の程度次第でもありますが少なからず日常でもあることだなとは思いました。たとえば対戦などでも片方の側の勝利を祈っているということはもう片方の側の敗北を同時に願っていることになります。同じように何かを手に入れたということは別の誰かがそれと同じものを手に入れられなかった・・・誰かにとって幸福な結果がもたらされているということは別の誰かには待ち望んでいた展開が訪れなかったことにもなるので、幸せになりたいと願うのはある意味どこのどなたか知らない方まで含めて他人の不幸を同時に願っていることになるのかな、とか思ってました。本編とはあまり関係のない発想((


あ、あとよく分からなかったのは1〜12話が3話ずつで各キャラ編と呼ばれていることです。たとえば巴マミは3話で命を落としてしまいそれ以降登場しないので1〜3話を巴マミ編と呼んでいるそうですが、作品全体の流れとしてみれば巴マミは超超重要(これくらいの表現をしないと語弊を生むと感じました)ではないのでわざわざ区切る必要もなく各キャラクターに同じ重さを持たせなくてもいいのかなと思います。


画の問題か特に好きなキャラクターもいませんでしたが、「仮面ライダー龍騎」のような仕組みや「仮面ライダー剣」のような終末に似た部分があったようにも思えて面白い作品だったと思います。もっともその2作品の方が個人的に好きなのですが((
それに関してなのですが、魔法少女が戦いを続けなければいけない理由は魔法を使ったことにより消耗したソウルジェムを浄化しなくてはいけないためだったと思うのですが、そもそも魔法少女になったからと言って魔法を使わなくてもソウルジェムを消耗するとは一言も言われていなかったですよね、逆も然りなのですが。


反省点が一つだけあって、1回に6巻すべてをレンタルしてしまったことです。
レンタル期間が3泊4日で、初日は視聴することができなかった上に、その後に日中予定の入っている日が2日あったので実質1日で12話すべてを観なくてはなりませんでした。連続して視聴してしまうと6時間にも満たないほどの時間しかストーリーはないため、どうしてもスケールは小さく感じてしまうようにも思えます。しっかり放送日に合わせて視聴している方は毎週見るごとに今後どうなるのかを考えたりして楽しむのでしょうが、レンタルで視聴する場合はそのようなことができないことが仕方がないのですが残念ではあります。


さて…また時間を見つけては面白いアニメを探してみたいと思います。