「Circle Crash Lovers Association Vol.2」を読んで。

「Circle Crash Lovers Association Vol.2」を読んだので感想を。


簡単に説明をすると、2013年冬のコミックマーケットで販売されていたサークルクラッシュ同好会様(以下、言及あっても敬称略)の冊子です。因みに、コミックマーケットではポケモン関係の情報冊子しか購入したことがなかったのですが、冊子にタイトルらしいタイトルがついてないと分かりにくいと思ったのが第一印象です((
でも、表紙絵は好きですね。


ということで、以下に感想的な何かを。
思いついたことを書いてるだけなので荒い内容ですが((



サークルクラッシュについて大雑把に説明をすると「恋愛経験の乏しい同性の割合が多い集団に少ない異性が交わり、その異性をめぐった恋愛問題(場合によっては同性間のことを指すことも)などによって集団の人間関係が悪化したり集団が解散するなどすること、そのような現象」というような感じでしょうか。サークラと略されて使われたりするみたいですが、場合によってはサークルクラッシュをする(主原因となっている)「サークルクラッシャー」と個人のことを指して使う場合もあるようです。


そもそもサークラという言葉を初めて聴いたのがいつだったかも思い出せませんが、ツイッターでよく見かけるようになり、いわゆるオタク集団でサークルクラッシュが起こりやすいことから女性のサークルクラッシャーは「オタサーの姫」などと呼ばれたりするらしく、その単語を覚えたてのころは食事の際に隣の席に男子3人女子1人の集団が来たのを見て(姫というの一般的な名称ではなく隠語だと思っていたので)「これが噂の姫かー!」と隣で言ってしまったりしてました((
そんな風に話題をよく耳にするようになったころにツイッター上で知人が「冬のコミックマーケットサークルクラッシュに関して考察をしている本が出るらしい」という情報を手に入れていてインタビュー付きで面白そうだと思ったので代理購入してもらうことに。


ということで3月になってようやく手元に届きました。
とりあえず好みの絵柄の表紙を開いて目次。順番に読んでいこうとすると唐突に小説・・・どうしていいか分からなかったので後回しにしてしまい目次的に次の章となっているページへ。そこでは筆者が変わりタイトルは「なぜ男のサークルクラッシャーは少ないのか」、そのまま読み進めていくと次のタイトルがあり「サークラ系メイト裏フィールドワーク」と別の方の読み物になっていました。
どうやら、まえがきのようなものは全くなく個人の長編コラムのようなものが続いている形式のようです。サークラという単語が浸透し始めてきたようですが当然何のことか全く分からない人もいるわけで、そういう読み手にとっては親切でないように思いました。また、先にも書いたように「サークラ」という言葉は「サークルクラッシュ(現象)」「サークルクラッシャー(個人)」と意味合いを持っているため、ただ「サークラ」と書いてあってもそれが現象のことなのか個人を指しているのか分かりません。加えて私のように大雑把に意味は知っているというような人にとっても「人間関係や組織の状態がどの程度までいったらそれをサークルクラッシュと呼べるのか」というのが分かっておらず、普段からサークルクラッシュについて考察をしている方々と認識の違いがあるかもしれません。
ということで、読んだ一番の感想は「サークラ」の定義が曖昧過ぎるということでした。曖昧な言葉故に意味をぼかしつつ便利に使える場面は多々あるのですが、このように複数の意味合いを持っているような単語を別々の書き手がさも共通認識であるかのように使っている点が読みにくかったです。


読んでいる最中に感じたこととしては。自分がサークラ関連の何を面白がっているのかが分からなかったということです。なんとなく耳にすることが多いから話題にすることも多く、考察っぽいことをするというので興味があったというだけでサークラ関連の話題の何を面白いと思っているのかがよく分かりませんでした。
当たり前と言えばそうですが、恋愛事情によるいざこざは複数人の間で人間関係があれば普通に起こりえることだと思っていて、それで人間関係が逆に良くなったり特に変わらない人もいれば急に悪くなる人もいて・・・関係者の間では非常に重要な問題であることは間違いないのですが、人や環境次第ながらある意味どこででも発生している現象だと言えます。
なので別段今さら面白がることがあるとは特に感じなかったのだと思います。というより、たぶん私はサークルクラッシュよりもサークルクラッシャーの存在に興味があるのだなと感じました。


印象的だったのは「加害者と被害者」の話。あまり考えたことがありませんでした。
前にも書いてるように人間関係なのだから良くなったり悪くなったりもするわけで、意図的に崩壊をさせようと目論む人物がいない限り人間関係の問題はその関係に携わった人全員に責任があることがほとんどです。「サークルクラッシュする様子を楽しみたい」という目的がない限りは意図的にサークルクラッシュを起こすことによるメリットがあまりないことを考えると、意図的なクラッシャーはほとんど存在しないと思う(実際にクラッシャーの分類の項目を見る限りやはり例外的な存在なようです)ので、サークルクラッシュの責任は連帯だと思っていました。
では、誰が加害者とか被害者という話を持ち出すのかと言えば、その様子を観察している人ではなくその関係に携わっていた人たちみたいです。人間関係を壊す意図がないクラッシャーの中にも、複数の人間と恋愛関係を発展させられそうな状況を楽しみたい人がいたり、恋愛関係なんて持つつもりもないのに複数の人間から好意を寄せられてしまう人もいたりして、いずれも周りの人間たちが被害者ぶってクラッシャーを加害者として叩くようです。周りの人間はだいたいクラッシャーによって失恋させられているので害を被ったという意識が強いのでしょうか。


というのが加害者意識らしいですが、個人的な価値観からすると色々おかしく思ってしまいます。、クラッシュしたという辛い現実が目の前にある中で「自分は悪くない!」という姿勢をとることで現実逃避できるという点は「不幸を他人のせいにできるうちはその人は幸せ」だという考えを持っているので理解できなくはないですが、いつまでもそうやって避け続けては問題は解決しません。また、そもそも先で「勘違い」という言葉を使っているように「自分に気があると思ったからその人を好きになった」っていう姿勢がちょっと甘いような気もします。「自分に気がある」と思ったのがスタート地点だとしてもそこからのステップは「その人に興味を持つ」ことで「好きになる」のはまた別のステップだと思うと、クラッシャーに裏切られた感覚(なんか文章を読んでいる限りは「え、お前俺のこと好きじゃなかったのかよ・・・」みたいな風にとりあえず自分が好きと言えば恋人関係になると思ってるような人が多いからそう感じちゃいました)というのは色々と飛躍しているような気がします。
クラッシャー側がこうやって加害者として責め立てられてしまうと、むしろそちらの方が被害者のように思えます。しかも、加害者側が数で有利な立っているのでクラッシャーが悪いという風潮を広めてしまうと関係のない位置の人からも「あの人はクラッシャー」と思われるようになるだけでなく、その関係のない位置の人が別の界隈で似たような集団を見つけたときに「あれはクラッシャー」という風に認知してしまい、全くその気がない人の印象まで悪くして迷惑を掛けることになります。最初の方で食事の隣の席を見て…というのがありましたがまさにそのような感じだと思います。まあ、中には被害者扱いされたらされたでそれをネタにまた別の誰かに甘えてどこかでクラッシュ再発させている人もいるかもしれませんけどね((
※この記事を読んでくださった方から指摘を受けまして誤解の内容に補足しておくと、文中ではサークルクラッシャーが加害者だとか悪だという話はしておらず、そういう場合もあるとしながら責任が誰にあるかを登場人物ごとに分析する内容となっております。


因みに、この本によるとサークルクラッシュにおける人間関係のうち、トリガーとなるクラッシャーでない方を「クラッシャられ」と呼んでいるそうです。単語を聞いただけだと頭のネジがどこか抜けてるみたいな印象が漂うかもしれませんが、それが実際の滑稽さとすごくマッチしているように見えて面白い言葉選びだと思いました。


個人的に最も面白かったのは「なぜサークルクラッシュはかくもくだらないのか」という文章。、まるで需要と共有のある市場のように再分配という言葉を使ったりして恋愛対象の選択の自由について語られているのが興味深かったです。ただ、「愛の再分配」という表現自体はあまり考えずに「愛」という言葉を用いたみたいでなんだか気持ち悪く感じてしまいました。。


おそらく冊子の中で最も長い文章になっている「サークルクラッシュ社会学〜排除された人たちが流れ着くコミュニティ〜」に関してはどこに向かいたいのかが見えにくかったせいで途中を飛ばして読んでしまいました。方向性が見えなかったのはおそらく私が社会学が何を目的にしている学問なのかを知らなかったせいであると思います。
家族や地域といった集団とうまくコミュニケーションができず排除されてきた人たちが似た者同士でコミュニティを作り、うまくコミュニケーションをとれない人間の集団なので何か問題(ここまでで挙がっているように多くの場合が恋愛関係)が発生したときにコミュニティがクラッシュしてしまうというような内容だったと曖昧ながら記憶しております。そして、サークルクラッシュの被害に遭わないためには自分が介入しているコミュニティを複数持っておくこととコミュニケーション能力を上げることが書かれていました。コミュニティを複数持っておくことが重要なのは周知でありますが、この文章を読む限りはコミュニケーション能力がないから複数のコミュニティを持てなかったのではないかと思ってしまいます。そのため、対策の順番としてはコミュニケーション能力を上げることが先になると思いますが、そもそもコミュニケーション能力とは何なのでしょうか。誰とどの程度の会話ができることがコミュニケーション能力が高いのか低いのかという議論が全くされておらず、対策したい人間にとってもどの程度を目標にすればいいのかが見えなかったり、そもそも最初に提唱されていたコミュニケーション能力がなくて排除されてきたのかとか本当に排除されていたのかどうかも疑わしく思ってしまいました。


色々なコラムを読んでいるとサークラ関連の一般的な話よりも割と必要以上に自分の恋愛経験を語っていることが多いような印象を受けました。「サークラ考察本」と伺って購入をしていたので思っていたのとちょっと違っているとは思いましたが、この組織が研究会ではなく同好会を名乗っていたことに気付いてなんとなく納得ができました。
同好会として冊子を出すのであればますます冊子のコンセプトやその同好会の活動内容や目的などに触れるコーナーを設けた方が良かったのではないかなと思いながらサイトを訪れて内容を見ています。サイトの方では活動内容や目的などが書かれていたりと方向性が明確になっているので、サイトを見てから本を読む方が読みやすいように思えました。
因みに、サイトには活動内容のところに「実際に人を送ってサークルをクラッシュさせてその様子を観察する」というものがあり、他人事として見ているつもりなのでものすごく興味が湧いてしまいました。意図的なクラッシャーがいないならば作ってしまえという感じでしょうか。
そういえば、コラムを書いている方々が学生時代に生徒会に関わっていた比率が高いように感じたのも印象的でした。私は生徒会に興味を示したことが全くないのですが、サークルクラッシュと何か関連性があるのであれば面白そうな気がします。


途中でサークルクラッシュを経験した人に対するインタビューがありましたが、想定していたよりはパンチ力は弱いお話でした。とはいえ、そんな経験はなかなかできることではないので、ここでインタビューを受けている方々がそうであるように、サークルクラッシュを経験してしまった人はその経験を糧にして強く生きれるようになれれば辛い思いをしたかいもあるのではないかと思いました。