「『自己肯定感』が低いあなたが、すぐ変わる方法」を読んだ感想

「『自己肯定感』が低いあなたが、すぐ変わる方法」を読んだので感想。

(※括弧を重ねる関係で厳密には異なる表記なのはご愛敬) 

 

○読んだきっかけ

「自己肯定感」という言葉をよく耳にするようになったのはここ数年と割と最近のことと認識している(?)のですが、私自身は自己肯定感が低いと感じたことやそれで困ったような記憶があまりありません。即ち、私は自己肯定感が高い部類の人間なのでしょう。

しかも、幸いなことに低かったものが何かをきっかけに高まったというわけでもなく、逆になんとなく関連する話を見ていても低い人の思考経路がよく分からず困ることがありました。なので、それを理解するためのヒントになればと思って読んでみることにしました。

 

 

○本書の構成

大きく分けて全部で4章構成です。

1章は、自己肯定感が高い人低い人の例を挙げながら「自己肯定感が高いと思えるのは良いこと、高いと思ってもいい」ということを理解してもらうような内容。タイトルの通り、自己肯定感が低いとされる人向けに書かれているので、まずは「こういう経験ありませんか?」という導入的な内容から入っています。

そして、2章が「すぐに自己肯定感を上げる方法」で3,4章で「低い自己肯定感を持っていても変われる」という内容になっています。著者が心理カウンセラー(?)なこともあってか多様な患者の例を挙げていますが、結構スピリチュアルな話になっているので、合う合わないには個人差がありそうです。

 

○構成に対する意見

内容に踏み込む前に、2章とそれ以降の章は順番が逆の方が良いのではないかと思いました。

その理由としては、自己肯定感が高い状態を保つことが本質の解決であって、すぐに上げるという一時的な解決策は本質の解決を理解した上での一歩目の踏み出し方として書く方が自然だと思ったからです。

本書の中でも「友達と仲良く遊べてる!…と思って帰ってきたら宿題をしていないことを母親に叱られる」という例が挙げられていますが、自分が充足している瞬間は自己肯定感も高い状態にあって特に問題にはなっていません。つまり、「充足していない時間とどう向き合うか」が課題の本質であるはずです。それを無視して「美味しいものを食べて自己肯定感を上げる(すぐに上げる方法論の一つ)」と書かれても説得力がありませんし、実際困っている人は特別感のない食事に戻ったときにダメージを受けていそうな気がします。

 

○内容に関する感想

抽象的で胡散臭い話が目立つことから、仮に自分の自己肯定感が低かったとしても絶対参考にはできないだろうと思いました(

開始1ページ目、まえがきの時点で「自己肯定感って『自分で自分のことをOKだ!』とか、『自分って結構いいよね~!』なんて思えること」とあって、内容に期待が持てないことを察しました。その後も「何もしてないのに自己肯定感が高まってきた…!」「ルーツとなっている過去の嫌な経験を思い出しながら肯定的なキーワードを繰り返して唱える」など異世界の魔法のような事例がいくつもあったので、途中でついていけなくなりました。

正直言ってしまえば気持ちの持ち方でそれをどうやって行っていくかの問題とも思えるのですが、カウンセリングでは一人の患者と何度も接することになると思うので、繰り返し行うことで効果があるというところでしょうか。

とはいえ、次の項目で列挙するような考え方自体は知ることができたので、その意味では収穫だと言えるでしょうか。

 

○確認できた「自己肯定感が低い人の考え方」傾向(※あくまで傾向)

・「自己肯定感が低い方が愛される」という考え方をしている可能性がある

・「自己肯定感が低い人ほど他人に認めてもらいたい」傾向があるかもしれない

・充足している時間は自己肯定感を高く感じるが、その反動で痛い目に遭うかもしれないという思いを抱く場合がある

・自己否定が始まると、直接関係のない過去の出来事まで思い出して負の連鎖に陥ることがある

・過去に否定されたり嫌な経験が自己肯定感の低さのルーツになっている可能性がある

 

○自己肯定感について思うところ

そもそも自己肯定感がどういうものか曖昧な表現だったのですが、「そのままの自分を認め受け入れ、自分を尊重し、自己価値を感じて自らの全存在を肯定する」(※記事末尾に引用URL)にあるように、自分の良い時も悪い時も受け入れられる状態を指すものだと思っています(その点で本書の内容はそもそもズレている)。なので、一時的な瞬間ではなく一定の期間における状態を指すものであり、踏まえて自己肯定感が高いかどうかはダメな自分を受け入れられるかだと思います。

因みに、「自己肯定感が高い⇒ナルシスト」「自己肯定感が低い⇒謙虚」という見解を見かけることも多々ありますが、個人的にはどちらも誤りだと思います。ナルシストは必要以上に自分をよく見せようとする傾向にあり、ありのままの自分を受け入れられている状態ではないこと、謙虚はダメな自分も受け入れられる素直な気持ちであることで、それは自己肯定感が低いとできないこと、と考えているからです。

話が少し逸れましたが、「ダメな自分を受け入れられるか」どうかであれば、自己肯定感が高そうな私はなぜそれができるのか…ここが一番肝だと思うのですが正直よく分かりませんでした。例えば、何かをやるときはできれば完璧にやりたいです。しかし、実際にはそう上手くいかず、それでも何とか続けていれば何度目かでできるようになる・・・なんてことは生きている中で多々あるでしょう。そういう経験から「失敗した要因を少しずつ潰していったらできるようになった」と過去の経験が活きたことを実感できると思います。これを繰り返していると「今こうなるためにはダメな自分も必要なルートだった」と前向きに捉えられる・・・と思っており、そうなったときに受容できるようになったのかなという気がしています(思い付き程度)。因んでおくと、今でも「1回目から完璧にできちゃうような人でありたい」という思いはありますし、上手くいくまでに時間を要したことを嘆くのであればそれは力量・目標・手段のどれかの見誤りだと思うので別の課題(?)でしょうか。

ただ、「自己肯定感が低いことには原体験となる過去のルーツがある」の話を読みながら思ったのですが、これは生まれ育った環境の要因も大きいかもしれません。本の中で自己肯定感の低い人間の周りの登場する人物は批判的(攻撃的)・支配的・嫉妬深いなどあまり良くない性格気質が目立っていたので、関連性はありそうです。そういう意味では少なくとも原体験のようなものが思いつかない私は恵まれているのだと思いました(とはいえ、幼少期母親に叱られるときに「あんたなんて産まなきゃよかった!」と言われていた記憶がありながらそれを悲しんだりしていた記憶はないので、もはやよく分かりません)。

 

※引用部分のURL

自己肯定感 とは| 一般社団法人日本セルフエスティーム普及協会