2022.2.4に公開された映画「大怪獣のあとしまつ」を観てきたので感想。
〇あらすじ
ある日、地上に1匹の大怪獣が現れて街を破壊して暴れつくしていたが、突如として降り注いだ謎の光球に包まれて怪獣は生命活動を停止した。恐怖に陥っていた人々は歓喜と安堵を取り戻すが、その一方で残された怪獣の死体は腐敗が進んでおり、このままだと環境被害に繋がるという新たな問題が残された。
大怪獣をどのようにして処分するか、その責任者として内閣総理大臣直属の組織・特務隊の帯刀アラタ隊員が選ばれる。
〇感想
人生で観た映画の中で一番だと思うレベルで面白くなかったです。
元々見に行く予定もなかったくらい事前の期待は特になかったので、期待値との落差による相対的な評価の部分はありません。ただ、個人的に不快と感じるものを序盤に押し付けられて「あぁ、このまま不快に耐えなくてはいけないのか…」と感じたことが評価の低さに大きく繋がっていると思います。更に、終わってみて「これは良かったな」という部分も特に思い当たらなかったので、虚無が連続する中でいつか訪れるであろう不快に対して心の準備をし続ける心労が絶えないだけの時間がしんどかったというところでしょうか。
因みに、上映中に「監督もこの脚本を撮ってほしいと言われたら大変だな」と思っていたのですが、エンドロールで監督と脚本が同一人物なことを知りました(
ネタバレを含む感想は続きから。
〇勝手なストーリー要約
(※解釈や理解が間違っている部分はあるかもしれません)
開始直後にナレーションが流れるが、なんともう既に怪獣は死んだことになっている。動かないどころか出てこない。
主人公のアラタ、環境大臣秘書でアラタの恋人だったユキノ、ユキノの夫であり総理秘書を務める天音、という三角関係。政府では処理責任をどの部署が負うかと観光のインバウンド効果でわちゃわちゃと騒いでいる。
ユキノは元同僚のコネを利用して「怪獣には人体に悪影響を与える物質がない」という極秘情報を手に入れるが、この元同僚は天音と不倫らしき関係にあり、元同僚がユキノに渡した情報も嘘で本当は怪物の体内には未知の菌糸が含有されている・・・。
ようやく河川に死体として横たわる大怪獣が登場。死体なので動かない。マスクや命綱がない軽装備で怪獣に近づいたり登ったりする人々。ここまで標本保存的な話も出ていたが、怪獣が体内に悪臭を含んでいることと腐敗が進んで身体から膨張した隆起が突出して、それが破裂すると辺り一面が悪臭で覆われる環境問題から処分方法の検討が考え始められる。
その1・冷却保存。なぜか(?)特務隊ではなく国防軍が取り仕切ることになるが、気が付いたら氷漬けにできず失敗するところしか描写されない。その2・空気を上空に逃す。焼き肉屋で煙が上に流れる原理を利用して隆起の適切な箇所に穴を開けて竜巻を発生させて悪臭ごと上空に流すというものだが、非現実的ということで天音を中心に却下される。その3・海に流して沈める。使われていないダムを爆破することで河川に水流を発生させてその勢いで海まで流すというもの。元特務で爆破のプロだったユキノの兄に協力を仰ぎ作戦を決行するも、天音からもらったダムの設計図が偽物だったことから想定した水流を発生させられず失敗。現場で何とか軌道修正をしようとしていたユキノの兄は大怪我を負ってしまう。
この辺りで、3年ほど前にアラタが謎の光に包まれて行方不明になっていたことが明かされる。その際の事故で天音は右足を失っており、その罪悪感からユキノは天音と結婚したことが伺える。ユキノの前から姿を消した空白の時間に何があったか、任務が完了したら話すことを約束するアラタ。
そんな中、天音は却下した作戦2をブラッシュアップした作戦を実行に移そうとしていた。それだけでは確実性が足りないと判断したアラタは自ら怪獣の身体をよじ登り確実な箇所に穴を開けていくが、ミサイルに巻き込まれて怪獣の身体から振り落とされてしまう・・・。
そこに駆け付けたユキノは特務隊の帽子が落ちていることに気付き落胆しかけるが、目の前にはアラタが立っていた。そしてアラタは不思議な言葉と共に光の化身となり大怪獣を大空へと持ち上げていった・・・ここでエンドロール。
エンドロールが明けると「第二弾は今より更に低予算でやるかもしれません」という政府官邸からのおちゃらけ発言。ここで終幕する。
〇何を軸にした話なのかが分からなかった
キャッチコピーが「倒すよりムズくね?」の通り、今まで誰も考えたことがなかった世界線で奔走する人々を描くコメディ作品だと観る前は思っていました。
ところが、この作品にはコメディと呼べるお笑いシーンが存在しません。正確に言うと、用意はされているのですが、その内容の8割は下ネタと言っても過言ではない印象で、全く笑えなかったので実質的にないに等しいです。私は「顔芸・下ネタ・キレ系のツッコミ」がつまらないお笑い三拍子だと思っているので、単純に好みとして不快だったというのも大きいですが、下ネタを使うにしても子供向けと大人向けのネタが混在していて一貫性がないことは気になりました。
一方で、怪獣と対峙する場面は全く悪ふざけせずに真摯に向き合っています(たぶん)。なので、全体的にシリアスな現場シーンとわちゃわちゃした会議シーンが入り乱れており、特撮映画として見たときにも緊迫感がありません。そもそも怪獣が街を暴れまわっていた描写もなかったり、特務隊が怪獣の近辺で調査をしているときの装備が手薄だった(有害か確認する段階でマスクをしていなかったり怪獣の死体に登っているのに命綱もない)など「本当に怪獣がいる世界」としてのリアリティが薄く、シリアスにやるにも細部が行き届いていないと思いました。
まとめると、リアリティに欠けた怪獣との向き合い方と下ネタギャグシーンのバランスが悪く、その上それぞれの要素単体で見てもクオリティがイマイチでした。更には、アラタ・ユキノ・天音の三角関係も要素としては持ち込まれているので、実際はもっと渋滞が発生しています。
エンドロールの第二弾宣言での「今回も低予算でこんなんじゃ特撮なんて作れない!」というメッセージが身体を張って一番伝えたかったことじゃないかとも思ったりしました(
〇アラタはなぜすぐ"変身"しなかったのか
いや、変身かどうかは分からないですけど。アラタは光の化身として選ばれた人間でした。その能力があるなら特務隊員として自らせかせか動かずに最初からそれを使いなさいよというのは至極真っ当なツッコミだと思うので、何か理由があるのか気になっていました。
ここで、ウルトラマンシリーズを思い返してみます。多くの作品では、主人公は特殊部隊の一隊員として怪獣に立ち向かいつつ、最後の手段としてウルトラマンへの変身を試みます。なぜ主人公はすぐにウルトラマンに変身しないのか、理由は様々あると思いますが、人間がウルトラマンの存在に甘えて何もできなくなってしまうことを避けるのも一因にあるでしょう。だからこそ、まずは同じ人間として死力を尽くして戦い、ピンチになったら変身するのだと思います。
今回のアラタも同じケースです。なので、すぐには変身せず特務隊員としての責務をまず果たそうとしていたのではないでしょうか。そう考えると、ダム爆破でユキノ兄が負傷したことには物語的な意味がちゃんとあって、身近な人間と共に奮闘したけれど人間としての限界と変身への覚悟を思い始める一歩目だったのではないかと思うようになってきました(天音に設計図で妨害されたことをどう思っているのか分からないですけど)。
〇私なり「こうしたら面白そう」話
(※ど素人です。そして個人の好みです。押し付けではなく妄想です。)
アラタがすぐに変身しなかった理由を考えているうちに、もしかしたらこれが描きたかったことだったのかと思うようになりました。そう思うと、もう少し工夫の仕方があったのではと素人なりに思ったので、とりあえず好きなように書いてみようと思いました。
まずコメディの方向性は崩さないです。というより全てシリアスでやった後に光の化身エンドで肩透かしするのはまずいでしょう。今は現場で会議室でシリアスと笑いが分離しているのがアンバランスに思えるので、現場サイドにもお笑い要素を入れていきたいです。ただ、どういうことをしたら笑いが取れるのかが全く想像がつきません。とりあえず怪獣や政治にちなんだギャグをやりましょう。
最終的に描きたいのは「人間として戦い抜き、覚悟を決めて最後に変身するアラタの姿」なので、アラタとそれを追いかけるユキノの二人には一切お笑いをやらせず、シリアスに人間関係を描くために尺を当てたいです(配役をコントロールできるのか分からないけど山田涼介の絵面が増えたらファンは喜んでくれるという副次的な期待もある)。
そうすると、天音は必要なのでしょうか。天音は私情なのか(もしくは物語開始時から正体に気付いていたかもですが)作戦妨害を重ねてアラタは光の化身として追い詰められることになるので、必要なのかもしれません。天音を使わないとなると、企てた作戦が悉く失敗する理由が必要になりますが、怪獣が既に死んでいる以上想定外のことは起こりづらく、シミュレーション試算を間違えた人間が責任を負わされるのも何か違う気がするので、難しいですね・・・。
あと怪獣が動くシーンを撮ったり細部に手を掛けたい気持ちはあるのですが、やはり低予算だとそこまで回らないのでしょうか・・・。
〇まとめ
入場料と時間と引き換えに、最低評価として今後の人生で語り継げる作品の鑑賞経験を手に入れた・・・と前向きに思っていましたが、こうやって記事を書くまで色々と考えるのは楽しかったです。
何を描きたかったか分からなかったゆえに何を描きたかったのかを考える・・・という楽しみ方ができて、今ならファーストインプレッションとは違った視点で見れるとは思うのですが、下ネタが不愉快なことには変わりがないので、わざわざ2回目を見返そうというところには至りませんでした。。