記念日について思うこと

今日は茅原実里さんの誕生日です。


記念日についてちょこっと。




記念日が設定されるときというのは、だいたい1年という単位で銘打たれるものが多いです。時間に尺度が定められているというのは日常を生きる上で非常に便利なことですが、年というのは私たちが生を受ける前に誰か偉い方が勝手に「この程度の時間のことを年ということにしよう」と決めただけなので、何か記念となる日があったとして(そもそもこの日も与えられたものですが)それを思い出して祝うべき時間が1年後である必要性は特にありません。
何が言いたいかというと、仮に1年という単位が今の2年にあたる時間で定められているものだったら、1年毎に記念日を祝うものとすると、今の時間で2年に1回のペースで記念日が訪れるということになります。つまり、自分にとって大事な出来事を祝うものなので祝福したい時に記念日を持っていくのが本来の筋のはずなので、1年という与えられた単位の中に記念日を設定するというのは祝福したい感情と合っていないのではないかと思います。
そういう考えだと、記念にしたい出来事の直後は全て記念日になるだけなく記念時間・記念日秒という具合になりそうです。自分にとって大事な出来事であったのだからその瞬間を忘れないというのは大事なのでその考え方は正しいと思うのですが、自分にとって大事な瞬間なんて幾つもあるのでそのうちに記憶から消え去ってしまうこともありますよね。そういう意味では、与えられた単位で記念日が設定されているというのは、祝福したいことが多すぎるために仕方なく単位的に順番をつけているということなのでしょうか。少なくとも私はそうなのかなと思います。


ここまで祝福ということで書いてきましたが、誕生日は他人は祝ってくれますが自分は感謝をするべき日ですよね。私たちが生まれる前に偉人がここまで生き残れたことを再確認するきっかけとなる日を1年の中に組み込んでくれています。そうであれば、せっかくなので「また1つ歳を取ったなぁ」って失望を前にしながらそこで振り返っておきたいですね。