「失敗することは考えない 走る!盗塁哲学」を読んで。

「失敗することは考えない 走る!盗塁哲学」を読んだ感想。


著者は現役プロ野球選手で読売巨人ジャイアンツに所属する鈴木尚広選手。
プロ野球に興味のない方にはあまり知名度がないかもしれませんが、走塁のスペシャリストとして名を馳せる選手で、2015年にはプロ19年目にして初めてオールスターにも出場しました。
彼の出場機会は主に出塁した選手に代わって走者を務める代走と呼ばれる役割で、試合終盤などどうしても得点が欲しい場面で本塁まで走者が生還する確率を高めるために送り出されます。


野球は打撃・守備・走塁の3要素で成り立つ競技なので、打撃・投球(守備)に比べると派手さのない走塁に関しては注目されづらいポイントでありますが非常に重要な要素であり、それはただ単純に足が速ければ良いというだけの問題ではありません。
また、私自身が現役で野球プレイヤーだったときは、そこそこ速く走れて、左打席からセーフティバントを得意としてノーサインでの盗塁が許される選手だったので、走塁に関しては非常に興味があります。
(※1…走塁と別物ながら50mを5秒台で走れないと足が速いとは言えないと思っている、まだ生で見たことがないので抜かれたことはない)
(※2…記憶の限りだと最後の1年は二盗に失敗した覚えがない)
(※3…ここまで聞くと物凄い選手みたいですが、決してレベルの高い環境に身を置いていたわけではないという前提、懐かしく思わせてください)


というわけで、走塁のスペシャリストが現役のうちから何を語るのかに興味を惹かれたので、手に取ってみました。
因みに、私の鈴木尚広に対する印象ですが、2006〜2008年ごろのシーズンにチャンスで三振してバットをホームベースに叩きつけて悔しがる場面をTV中継で観ていて、「悔しいのは分かるけど物に当たるのは良くないな」と思ってあまり良い印象がありませんでした。しかし、その頃からアマチュアの人間でも分かるほど走塁技術は素晴らしい選手で、最近は自分の役割を認識してそれに徹するようになったからか余裕を持っているように感じるようになり、そんな中でしっかり準備をしてしっかり結果に繋げるストイックな姿勢がとてもカッコいい選手だと思っており、オールスターに出場すると聞いたときもどこか嬉しく思っていました。



本の構成としては8章に渡って展開されており、1〜4章は主にプロ19年目の今に至るまでの経緯が語られており、5〜8章では現在について語られています。
現役のプロ選手であるため、当然ながら具体的な技術に関する話にはあまり触れられていません。5章以降も道具への拘りや想いなど野球観という表現が適切なのではないかと思う話題が多く、具体的な部分に触れているのは6章の心構えだけと言えるかもしれません。


まず1〜4章は巨人に入団する前とそれからの話。鈴木が入団した当時の巨人と言えば、高橋・松井・清原が主軸を務めており、その後の補強もペタジーニ・阿部・ローズ・小久保・・・など長打力のある選手が多く、ずっしりと構える打線を組む傾向があり、鈴木はそんな中でレギュラー争いをしていました。今でこそスペシャリストとして一目置かれる鈴木がどういった経緯で今に至ったかを語る重要な部分ではありましたが、私はこの頃が一番プロ野球をよく見ていた時期なので、スムーズに読んでいきました。
この章で重要そうだったのは「若いころはケガが多く悩まされた」「代走としての自覚が芽生えた」ということだと思っています。


まず、「若いころはケガが多く悩まされた」に関して。
最近の鈴木は代走としての試合出場がほとんどではありますが、野球選手である以上はやはりレギュラーとして試合に出場することは一つの目標であり、最初の方で書いた「バットを叩きつけて悔しがる姿」もレギュラーを獲得するために必死で、そんな時期にケガに悩まされて葛藤していたのでしょう。
鈴木がケガをしなくなったのは、ある時期からトレーニングを「インナーマッスルを鍛える」方針に変更していったからみたいです。重いものを持ち上げるような出力の高い筋力も大事ですが、それをしなやかに動かす筋力はそれ以上に大事、という話です。
例として挙がっていたわけではないですが、たぶんスキーはこれに近いイメージです。大きく動きづらいスキー板を身に纏った状態で上手に滑るためには体の使い方を覚える必要があり、インナーマッスルを鍛えるというのはある意味そういうことなのではないかと思います。
試合に出続けるためにはまずケガをしないことが大切なので、そういったトレーニングに取り組んで上手くいったという事例は面白いです。野球に限らずケガに悩まされる選手は絶えないので、ケガをしないための体作りの重要性が広まるきっかけになればいいのではと思いました。


そして、もう一つの「代走としての自覚が芽生えた」という話。
先述しているように彼も当然レギュラーを目指してプレーしていますが、優秀な選手が毎年入団してくる中で、彼自身が一番魅力を出せる場所がどこかということを徐々に考えるようになり、試合終盤に代走としてチームに貢献ができるのならそれも悪くはないと思うようになった、ようです。
この部分はもう少し丁寧に書いてほしかったです。レギュラーを目指す中で、レギュラーでなくてもチームに貢献できるのは彼が他人にない巧みな走塁技術を持っていたからで、代走ポジションもも悪くないと思えたのは彼の年齢的な問題が大きかったように思います。もちろん、他人に勝てる部分がなければ解雇される世界なので技術がなければ生き残れませんし、それで生活を回して家庭を守る必要があるのだから年齢でそれを悟ることも必要でしょう。しかし、野球選手の多くは自身がまだ成長途上にあることが多く、そんな選手がたくさんいる中でスタメンとして試合に出れるのは1チームたったの9人しかおらず、十分に試合に出場できない選手の方が多いのが事実です。勝手ながら、レギュラーではない位置で輝いている著者にはそういった選手が腐らずに前向きに活き活きとできるような言葉を書いて欲しいと期待していた部分があったので、もう少し丁寧にと思ったわけです。
特に、彼がレギュラーでなくてもプロ野球界に生き残ることができたその走塁技術に関しても「どこでどうやって身に着けたか」という話が書かれていないのも気になりました。


5章以降は現在の話が中心ですが、5章は代走での出場が主だとはいえ与えられた場所でベストを尽くすために準備にルーティンがあるという話、7章は野球選手の能力を引き出す道具に関して感覚で良いと思ったものを信じるという話、8章は福島出身の鈴木が東北大震災についてや家族や原監督への感謝など。
5,7,8章に関しては特別な感想はないのですが、8章で家族を振り返るときに父母姉弟息子が登場したのに妻が出てこないのが気になりました。


そして、6章の心構えの部分で盗塁時の心理的な話などがされています。
盗塁においてはスタート・スピード・スライディングの3Sと呼ばれる要素が重要だと言われますが、話の中心はスタートを切る前の気持ちの持ち方です。スピードはほぼ一定であり、スライディングは審判への見せ方やタッチのタイミングをくぐるなど誤魔化す手段であることから、やはり盗塁の成功率の大きな鍵を握るのはスタートで、良いスタートを切るための心構えというわけですね。
因みに、先に触れておくと3Sに関しては、「スタート時は投手のクセを参考にし過ぎない、クセで走れるのは最初だけで長く続かないし、それがわからなくて走れないなら代走はつとまらない」「スピードを逃さない走り方が踵の内側に力を入れて走る」「スライディングはベースの奥をめがけて跳ぶように滑り込みベースとの衝撃をお尻で受け止める(真似すべきかは別)」という話がありました。


というわけで、心構えの話です。
最も大事なのは「自分の世界に引きずり込むこと」だそうです。よく語られますが、盗塁はピッチャーが普通に投げる・キャッチャーが普通に投げるをすればほぼ確実にアウトになるもので、モーションが少し遅い・捕球の位置が少し悪い・送球の位置が少し悪い、これらの要素が重なることでアウトになるはずのものがセーフになるというコンマ何秒の戦いです。しかも、相手もプロ選手ですから普通にやったら勝てるものではありません。そのため、相手を少しでも焦らせる・ミスを誘発させることが大事で、それをするために自分の世界に引きずりこむ感覚が重要ということです。
しかし、これは盗塁に関して揺るぎない自信を持っている鈴木だからできることで、常人が真似できるものではありません。なぜなら彼は代走として出場が告げられて注目が集まることも重圧とは感じずに自分の世界に引きずり込む要素の一因だと考えており、スタートするときは「僕がスタートしたらピッチャーがモーションを起こすくらいの感覚」でいて、盗塁が失敗したときは「今回は相手がうまかったから仕方ない」と思えるくらいの自信を持ってプレーしているからです。本書のタイトルである「失敗することは考えない」もそれだけの能力から来る自信が生んだ言葉だと思われます。


そういえば、盗塁に入る前のリードの話もありましたね。アドバイス的には「セーフティリードを知る」ということがありました。「仮に逆を突かれても帰塁できることを条件に限界までリード幅を広げる」ということでしょうか。
ところで、個人的には牽制の帰塁は立ったまま行いたいと思っています。リード幅を広げることで二塁までの距離は近くなりますが、ヘッドスライディングでギリギリの帰塁をする意識を持ったまま良いスタートを切るのは非常に難しく、盗塁を狙う場面でリード幅を広げて良いスタートが切れなくなるのは本末転倒であり、帰塁は基本的に立ったまま余裕をもって行いたいと思っていました。「逆を突かれても帰塁できる」というのはそういうことなのでしょうか。牽制が来てヘッドスライディングで帰塁するときは盗塁する気がなくピッチャーに精神的負担をかけたい場面だけで良さそうな気がします。


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全体的を通した感想としては、走塁技術に関する興味を持って手に取ったひとには物足りない内容になっていると思います。自分の感覚的なことを非常に大事にする選手であり、彼の技術が卓越過ぎることもあって、共感できる部分はあっても常人が理解して応用できる内容はあまりないイメージです。
レギュラーではないからとどこか謙遜した感じとスペシャリストとしての誇りや自信が垣間見える、そんな文体で記述されていました。
因みに、今回タイトルでは「盗塁哲学」と銘打たれていますが、私は彼を「走塁のスペシャリスト」と認識しているので、足が速くない選手に対しても走塁の重要性とその技術向上に関する話を理解してもらえるような、そんな言葉を説得力を持って聞けることを今後は期待したいですね。