「仮面ライダークウガ」の感想

プロフィールの部分が「クウガ・アギト・響鬼以外は全て観てます」だったのが「アギト・響鬼…」と変わっています。


というわけで、仮面ライダークウガ観ました。
クウガは平成仮面ライダーシリーズの1番最初の作品にあたり、私が初めて観た作品はクウガの3つ後にあたるファイズでした。
平成ライダーシリーズと言えば、怪人の心情描写がされていたりライダーが主人公と敵対することがあるなど話が複雑な絡み合いでできていることが特徴的です。しかし、その傾向も龍騎以降だと思っていて、どちらかと言えば昭和の仮面ライダーの延長というイメージがあるクウガに対してはあまり興味を示していませんでした。
しかし、食わず嫌いをしているのも良くないので、別の作業を並行しながら観ることにしました。なので、もしかしたら見逃している部分もあるかもしれません。




第1話は、未確認生命体の出現、そして五代雄介が体内にアークルを取り入れてクウガに変身して戦います。
五代雄介の脳内にベルトを装着する映像が浮かんでいますが、どうして彼だけがその映像を感じ取ることができたのかは特に描写がされていない模様です。アマダムを取り入れた後であれば、体内に内在するアマダムが映像を見せているという解釈はできますが。なので、特別そういうこともなかったですが五代雄介はある意味最初から選ばれた人間だったんですね。


まず1番最初に感じてしまったのは「OPの映像が古い」こと。今の主題歌って知名度のある邦楽アーティストに世界観を感じさせるような楽曲を合わせることが多く、「仮面ライダークウガ〜♪」という歌詞が現れるのは昭和的な古さを感じてしまいます。
主題歌と言えば、まさかのED付き。響鬼も見てないからEDは斬新。慣れてないから必要なく感じます。


一条を演じる葛山さんがかっこいい!平成仮面ライダーはビジュアルのいい俳優を使うことが多いですが、ライダー補正がない(変身しない)人で普通にかっこよく思えることが結構珍しいです。まあ、だいたいの重要な男性キャラは変身してるっていうのもありますが。後で知りましたが一条さんは26歳の設定…30代だと思ってました。。。
そして、一条さんはなぜ「五代雄介」とフルネームで呼ぶのだろうか。


今回の怪人であるグロンギ。今まで怪人が日本語を喋るのを当たり前のように聞いていましたが、グロンギグロンギの言語を喋るので、何を言っているかが全く分かりません。グロンギがどういう存在で何を目的としているのかが分かっていない状態で、何を喋っているか分からないシーンを観続けることになるので、序盤のモチベーションをやや奪われた気がします。
最近の怪人は人を殺さないですが、グロンギは平気で死者を出します。これはある意味昭和的と言えるかもしれません。ただ、幼い頃から人が死ぬ特撮を結構見ていた私はあまり鬱な気分にはなれませんでした。やや重症?


五代は「大丈夫!」と言い続けていますが、この辺りから沢渡さんやみのりが戦うことに関して不安を募らせたりと新しいフォームを手に入れて強くなっていく裏で描かれています。そして、椿さんはなぜ白くなると変身できなくなることなどを読み解けるのだろうか・・・。
あとやっぱりこれ以降の作品に比べると、必殺技は地味ですよね。まあ宇宙まで行ったり2つに分かれたりするのもちょっとやり過ぎな感じはしますが。


見返してみると神崎先生や蝶野やゴウラムの登場は結構早かったんですね。
そして、まさかの17話。今では考えられない復習回。まあ、確かに最近は2話完結なので数週間見逃してもそこまで展開が追えなくなることはないのかもしれませんが。これを1話分として観ることがとてもシュールな経験でした。


これを区切りとして、クウガがパワーアップしたり、グロンギは人間を殺すゲームをしていることが分かったりと。しかし、封印を解かれたグロンギは何のためにゲームをしているのかもはっきりとせず、詳細は描写がないまま進みます。これに関しては結局最後まで分からなかったんですが、理由はいらないんでしょうか。
この辺で、五代の周辺の誰かがグロンギのゲームの犠牲になるのではないかと思いましたが、そんなことはありませんでした。


もうどれが第何号なのかが分からなくなってきた頃ですが、最後の方は収めきれなかったのか結構駆け足だった気がします。「クウガはやがてダグバと等しくなる」と言い続けたバラのタトゥの女を始め強そうな人たちがまさかのあっさり銃殺。この発言、ダグバがグロンギ自体を表しているとは思いませんでした。そして、一条さんに銃で撃たれたタトゥの女ですが、そのまま海に転落して爆発したりもしなかったのでおそらく生きてますよね。
銃殺と言えば、一条さん射撃の腕が良すぎです。グロンギの指を正確に狙えるし人質を取った犯人にも平然と銃を打つ。余談ですが、あそこは警察らしく解決したら人質を描写してほしかったですが、「大丈夫ですか?」どころか一度も出てきませんでした。


そして、ダグバを倒してそのまま旅に出ると宣言する五代。これは「自分が死ぬかもしれない」という意味を込めているのかと思いました。白い服の青年は急に現れていきなりラスボスぶって戦うところがなんとか最終回までに収めようとした印象を受けました。ダグバとクウガが殴り合っている場面でそれぞれが人間の姿で殴り合いをしている描写が入って…五代の拳を振るいたくないけど皆の笑顔のためにという悲痛な想いがよく伝わり、対するダグバは笑い続けていると対極の姿勢を示すいい場面でした。


箇条書きすれば見やすいものをぐだぐだと振り返りながら書いてみました。
全体的には五代も一条もそれぞれに立派でその他のキャラクターが戦闘面以外でサポートをする描写が少なめだったこともあり、他のキャラクターが設定上必要だったのかと思いました。特に、警察の杉田さんと桜井さん。彼らは一条と同じ警察の立場にありながら第4号ことクウガの正体を最後まで知ることができないところに登場意義があると思っていたのに、いつのまにか五代がクウガだと知ってる人は登場人物のほとんど。あと笹山さん仕事多すぎ。
そういう人間関係の描写が少ないように感じたのに、戦闘時もグロンギが人間を殺すようにあっさりとクウガに殺されるグロンギが多いですね。つまり、戦闘シーンが短いということなんですが、じゃあいったい何のシーンが多かったのでしょうか。「はい、オリエンタルな味と…」って感じでしょうかね(これも最後まで言わせてあげましょうよ)。


ただ、少し振り返ると五代自身も苦しみなどを抱えているはず(一度ダグバになるという警告を受けている)ですが、それを彼が表に出しません。なので、描写するためには五代の近くにいる周りの人間が必要だったということは感じました。


というわけで、楽しめる作品ではありましたが、平成ライダーに慣れているせいかちょっと足りないところも結構感じたというところです。まあ、最終的にはライダーの世界ではどこにでも繋がっている「さいたまスーパーアリーナが出てこない違和感」ってことでまとめておきましましょう((