「仮面ライダーゼロワン」が面白くなかったので感想。

2019.9.1に放送開始した「仮面ライダーゼロワン」が2020.8.30の最終回を持って終了しました。

 

仮面ライダーは昭和・平成と時代を越えて長く続いているシリーズ作品ですが、今回のゼロワンは令和一発目のライダーということで期待感も高かったです。
・・・が、個人的には面白くありませんでした。それについてつらつらと書きたいと思います。

 

★あらすじ

飛電インテリジェンスが開発・製造した人工知能を搭載した人型ロボット・通称ヒューマギア。このヒューマギアは警備員・医者・保育など人間社会の多くの仕事の場で活躍している。一方、その飛電インテリジェンス社長の孫である飛電或人はお笑い芸人として活動していたが泣かず飛ばずだった。
ある日、飛電の社長が急逝したことにより或人は二代目社長へと任命される。或人はそれを断ったものの、遊園地で暴走させられたヒューマギア(マギア)が人々の笑顔を壊していく様を見て、社長就任を受け入れると同時にその権限で利用できるシステムで仮面ライダーゼロワンへと変身して人々の笑顔を守ることに。
 

★開始前の印象

これだけ聞くとテーマは面白そうだと思いました。世間的にAIは流行りであり、その中で「人工知能は人間を超えるのか」という話題が挙がるように、自我を持ったAI(ヒューマギア)と人間がどのようにコミュニケーションして未来を切り開いていくかという興味はあります。
一方で、ちゃんと描き切れるのかという不安は最初からありました。AIの可能性を具現化する形で近い将来現実に起こりうるような世界観を描くことになるので、リアリティが結構重要なポイントになると思っており、昨今AIブームの話題性だけで飛びついて本質の課題を見失うケースは多々聞いているため、同じようにならないといいなと願っていました。

 

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以下、面白くなかった理由です。

 

 

★主人公に魅力がない

実の父親がなくなった後にヒューマギアの父親に育てられた経験から、ヒューマギアを道具ではなくパートナーとして一人ひとりと向き合い、夢と可能性を信じる主人公・・・なのですが、残念ながらそれ以上の魅力がありません。
思いの強さ自体はその背景から理解はできるのですが、それを言葉で訴えかける以上の行動を何もしていません。イズ含めて結局彼の行動を突き動かすのは衛星ゼアが導き出す彼にとって都合の良い回答であることが多く、彼自身が戦いや関係性の中から何かを学んだり乗り越えたりするシーンはあまりなかったように思います。思えば、或人が言葉を交わす相手は身近な人間を除けばほとんどがヒューマギアだったような記憶があり、もはやヒューマギアとの共存というよりは依存とさえ感じました。
 

★問題児・お仕事5番勝負

マギアの暴走で会社への不信感が募る中、ZAIA社長・天津垓が飛電インテリジェンスの買収を発表。この発表に抗議する或人に対して天津から、飛電のヒューマギアとZAIAが誇るインターフェース・ZAIAスペックを利用した人間とで、どちらが優秀な成果を残せるかを競い、勝敗によって買収を決めるという提案がされます。これがいわゆる"お仕事5番勝負"です。
このイベントはゼロワンを語る上では避けて通れないレベルの問題児で、少なくともこれに関する良い声は一度も聞いたことがありません。問題は明確で「5本全ての勝負を描き全て2話ずつで構成されていること」「その勝負の展開についてのパターンがほぼ全て同じであること」の2つです。冷静にリアルタイム放映にして考えると2ヶ月以上全く同じ展開の物語を見せ続けられるので、視聴する側としては非常に厳しいことは容易に想像できます。
社長同士の議論も「夢vs道具」の平行線が続くだけで、目新しい出来事は人間の悪意のプログライズキーで暴走する或人をヒューマギアの善意のデータを集めた武器で止めたこと程度。悪意のデータを或人に食わせたのも天津なのですが、その意図もよく分からず。この勝負では「発展したAIによって奪われる人の仕事」から人間のAIに対する悪意を描きたかったのでしょうが、そのために10話使うのは脚本としてちょっと非常識に思えます(更に言えばヒューマギアが浸透している社会ではその問題は既に向き合っているはずなのでリアリティを問えばなぜ今更という疑問も残る)。

 

★女性ライダー・刃唯阿の扱い

令和一発目の目玉らしい女性ライダー。平成の時代にも劇場版やシリーズの途中で変身することはありましたが、最初からレギュラーとして存在するのは初めてでした。公式としてもそれをアピールしていた・・・のですが、劇中ではもはや空気みたいな扱いでした。これは「女性だから特別に扱え」という意味ではなく、単純に3人目のレギュラーライダーとしての扱いがひどかったという意味です。
AIMZの技術顧問である彼女は「ヒューマギアは価値ある道具」という考えをしていたが、その後自分も組織にとって道具に過ぎなかったことに気付き、自分の意志で動くために組織を抜ける・・・というのがストーリーです、それしかありません。演じる井桁弘恵のインタビュー記事を見てる中で「大変だったこと」として「自分の役回りがいきなり変わって存在意義は何だろう、役をどう模索すればいいだろう」(要約)ということを挙げていましたが、これは本当に脚本として刃唯阿をどう扱うかがきっちり定まっていなかったことの現れじゃないかと思います。彼女の逡巡はお仕事5番勝負を挟むこともあって10話以上続くのですが、逡巡と言っても「私は道具じゃない…!」と自分に言い聞かせるのみで、何がそれほどまでに彼女を縛り付けているかも見えないまま居るだけの人になっていました。
彼女を従えていた天津の嫌われっぷりが目立っていたこともあり、それを振り解くことは展開としては非常に面白いはずなのですが、そこに至るまでの過程がない割には時間を掛けすぎてようにも思えて「やっと今更か…」という思いの方が強かったです(これも「思いはテクノロジーを越える…らしいぞ!」って考え直すと意味はよく分からないし技術者の信念が垣間見える場面があった覚えもない)。その後も技術顧問として滅亡迅雷を復元しただけで、展開のために存在はしただけで意義はないと言わんばかりの扱いで、バルキリーに変身して活躍する場面もほぼありませんでした(バルキリーに関しては、そもそも初変身シーンで雑魚キャラ複数体を倒すだけという時点で首を傾げてはいましたが)。そういったことも踏まえると「女性が活躍する・男女平等に扱われる」のどちらも描かれない中での「女性ライダー」というキャッチは、令和一発目の話題作りのためだけという浅はかな売り方に思えて、かえって滑稽に見えました。

 

★悪役風・天津垓について

ZAIA社長であり問題児・お仕事5番勝負を劇中で提案してしまった人物。ヒューマギアをパートナーとして語る或人に対して、技術は人類発展に活かすべきとヒューマギアの排除を目論む対立的な存在として登場しました。演じる桜木那智の演技もとても素晴らしく嫌われっぷりは見事でしたが、悪役キャラとしての魅力はイマイチでした。
一番の理由は彼の根幹にある思想が長い間ずっと分からなかったことでしょうか。なぜヒューマギアを忌み嫌うのか…そういった背景があるだけでも十分膨らむのに、そういった描写がないまま主人公とお仕事5番勝負の中で「夢vs道具」の平行線を続けるので飽き飽きします。また、異常なまでの完璧主義である一方、自分が被った名誉棄損や器物損害は訴えるのに相手に対しては同じ行動を平然と行う点で矛盾を孕んでいます。ただのエゴイストと片付ければ理解できる話ですが、それではただ性格が悪い人であって主人公と対立する悪役ではありません。主人公が乗り越える壁としての対立構造をなしていないので、そう言われると主人公が成長できないことにも納得感はあります。
変身時の「相手のプログライズキーの技術をコピーする」能力の並外れた強さもあって中盤まではラスボス級の強さで君臨していたのですが、或人・AIMZコンビ・復活した滅亡迅雷…と立て続けに敗戦を繰り返します。続けざまに痛い目に遭う爽快感(?)はあったのかもしれないですが、悪役としてのそれではなく嫌われ者としてのものだったように思えて個人的にはスッキリしませんでした。そのくせ、取ってつけたような1話で改心するというエピソードがあるのも理解に苦しみました。改心してからの役割もサウザーの技術コピー能力で「或人はアークに操られたわけではなく自分の意志で動いている」というのを示すのみで、これもまた展開ありきを感じました。

 

★テーマ性

「人間とAIの共存」は一つのテーマであると思っていたので、この作品を見る視聴者(人間)へのメッセージ性は重要だと考えていました。これに関しては私が勝手に期待しただけなのでそもそも的外れなのかもしれませんが、そういう期待からすると人間への寄り添い方が足りなかったように思いました。
人間ヒューマギアに関わらず自由意志を持って生きるために、不破や刃のような人間には「夢」、滅をはじめヒューマギアには「心」をテーマとしてそれぞれ与えられたように見えました。滅亡迅雷.netの4人は最終的に「心」を受け入れて人間や世界とどうかかわって生きていく姿が最終的に描かれていましたが、人間サイドに関しては夢も含めてあまり語られなかったように思います。そもそも主人公の或人自体が会話型AIのアイちゃんを彼らに提供しただけで人間関係を発展させていません(これについても「AIは人型でなくていい」という発想は、近未来感を打ち出すためにお仕事ヒューマギアを全て人型にした設定を無駄にしている気がします)。そうして最終回では不破・刃・天津が「それぞれみんなが仮面ライダーだ」という趣旨の発言を残すようなまとめ方でかなり違和感を覚えました。
もしこの作品がAIの素晴らしさを伝えるだけの作品というのであれば、お仕事紹介や結末を含めて納得感はありますが、そのために1年間かけてやるものなのかと言われると疑問です。

 

★まとめ

全体的な描写不足、既に何度か使ったフレーズですが「展開ありき意義なし」が全体を通しての率直な感想です。重要シーンの瞬間自体が良いことは多いのですが、そこに至るまでの過程が不十分であるため移入しづらく、「こういう展開になれば満足するんでしょ?」という気持ちが見え透く分かえって盛り上がれない・・・という作品でした。
新型コロナウイルスの影響で脚本や撮影の変更を余儀なくされた部分も多くあるでしょうが、中盤までのエピソードを見る限りそれを差し引いても、リアリティに欠ける場面やキャラクターの背景に色をつけられなかったり、何よりお仕事5番勝負をやってのけたことが正気の沙汰とは思えないので、それによる不信感が先行してしまった部分も少なからずあるでしょう。
一方で、この自分の持つ期待感はこれまでの平成ライダーシリーズを全て観てきたからこその物であるため、そういったユーザは令和ライダーのターゲット層からはずれているというのであれば納得感はあります(

 

★最終回に関して(箇条書き)

 ・ヒューマギアが反乱を起こして社会全体として人間vsヒューマギアの構造っぽくなっているが、決戦に臨む2人はただ互いに身内をやられたという個人的な憎しみのみ
・変身もできずただ見守ることしかできないサブライダー群
・迅の復元というまたもや技術顧問的な役割しか与えられない刃唯阿
・最終的に迅の復元は或人と滅の戦闘に何の影響ももたらさない(
・或人父との邂逅、お父さんの言っていることが支離滅裂すぎる
・「成長したな、泣くことしかできなかったお前が怒りを覚えた」(要約)←20歳前後の大人に対して??
・「それは仮面ライダーという力を手に入れお前が強くなったからだ」←??
・「だが忘れるな、本当の強さとは力が強いことではない、心が強いことだ」←??
・これが連続した台詞として語られているの結構文脈を読み取るのが難しい
・この言葉を受け売りに滅に心があることを訴えかける或人とそれを認める滅
・あれ…これもう戦う必要なくないですか…?(
・お互いがお互いに悪意のベルトを破壊する形は悪意をそれぞれ乗り越えたってことになるのかしら
・後日談、あれヒューマギアの反乱はどうなったの?
・突然の「(お前たち/俺は)仮面ライダーだ」の押し売り連呼、なぞ
・刃唯阿「人間であれヒューマギアであれ心は尊重されなくてはならない」(要約)
・そうなると飛電は心を宿す器を売買する事業を拡大することになるけど大丈夫かしら
・滅と迅の関係性は悪くはなかった、監視っていうのも曖昧だけど()
・…からの伊藤英明。映画で完結させようとしつつ、丸投げにしてはいけない過去の反省(ディケイド)から本編でもそれっぽく締め方をした感じでしょうか
・だとすると本編の中に組み込む必要なかった気がする…。
・破壊されたイズの外見を再現した別個体にイズと命名する或人に不安。。
・これから先の未来を創る意味でウィルとか予想してました
・というか同じ外見、同じ名称、思い出をラーニングさせる…って代替品たりえるので、破壊されて悲しみ憎しみに暮れる必要なんてなかったんじゃ・・・(

 

★余談

仮面ライダーゼロワンを面白くないと言っている人間は、読解力と想像力が足りていない」という話題が少し盛り上がっていたようですが、個人的にはあまり賛同できません。
表現創作物で受け手に想像の余地を持たせることは良いことだと思いますが、その想像に説得力の有無はあれど正解はありません。なので、想像力が豊かだと楽しみ方は増えますが、それはあくまでオプショナルであって物語の根幹に関わる部分がそうあるべきではないというのが私の考えです。
私が問題だったこととして主張している「展開ありきの意義なし」は、45話の中で重要シーンとなる点だけ先に置いて、その点と点を結ぶような線を描く作業の中で、線が途中で途切れて行く先がよく分からなくなっているイメージです。この重要シーンの点を置くだけの作業であれば素人でもある程度できますが、その点と点を繋ぐのがプロの脚本演出だと思っているので、それを想像力による補完に任せるような書き方は仕事として横暴だと思いました。