落合博満の「決断=実行」を読んだ感想。

落合博満の「決断=実行」を読んだ感想。


著者の本については、2011年に出版された「采配」以来読んでいないのですが、これまでの私の考え方を形成するにあたって最も大きな影響を受けた人物の一人と言っても過言ではないので、今回も素直に手に取りました。




○内容
常識に囚われない考えや行動を起こす著者のことを人々は「オレ流」と表現する。しかし、彼の根底には「他者にどう思われるかではなく、今の自分に何が必要かを考えて勇気をもって行動する」という行動指針があるだけで、「これがオレ流なら誰でも実行できる」と言う。
我々は生きていく中で数多くの決断と実行(行動を起こさないことも実行の一つ)を迫られているが、それを思うがままにする生き方のヒントになるような考えを野球を題材に示した本。


○感想
なるほど…と思える部分はたくさんあったものの、新たに得たものという意味では少なかった気がします。ただ、これは私が近しい考え方を既に得ていたことによるものだとするなら、初めて読んで感銘を受けたときに比べて自身の成長が伺えるので、その確認という意味では良かったというところでしょうか。
内容は上記の通りなのですが、章やテーマに基づいた構成があるわけではなく、野球の小さな話題に対して「~という理由で私はこう考える」というのを積み重ねていった形になっています。なので、話題に対する結論を理解することよりも、そこまでの道筋の通り方を見てヒントを得ていくことになるでしょう。その意味では野球の話題に少し理解がないとイメージがつきづらいかもしれません。また著者が現場を退いてる身ではあるので、どうしても最近の若者事情の話は多いです。
これだけで終わってしまうのもアレなので、共感できた部分や印象に残ったことを下記に記していきたいと思います。



監督としてユニフォームを着るときに肝に銘じたのは次のことだ。
「自分ができたことを伝えるのではなく、自分ができなかったことを勉強する」

私が他者への物事の教え方を考えているタイミングだったので、一番印象に残りました。
バッティングをはじめ、世の中には絶対的な正解が存在しない物事が多いですが、そういったものに対してせいぜい数アプローチしかない自分の経験だけで語るのは良くないという話です。特に、世の中には自ら教えたがる人に限って「私はこうやって成功しました!」という傾向が強い(偏見?)と思っていますが、そのアプローチが全ての人にあてはまるわけではありません。
自分が知らない領域や自分とは異なる方法で上手くやってきた物についての知見も吸収するなど、教える側も学び続けることが大事ですね。

自分と異なる考え方や意見を否定せず、「なぜそう考えるのだろう」と分析しておくことが肝要だ。

自分の考え方が間違っていないとも限らないし、先述のように絶対的な正解がないものについては自分の視点とは違うアプローチがあることを理解することが大事だと思うので共感できた部分。
ただ、「なぜそう考えるのだろう、私はこういう考えなのだけど」というスタンスを否定と受け取られることが多いのが少し世知辛いとも思います。

組織で大事なのは責任所在の明確化


執筆時のはてなブログのテーマタグが「チームワークを語れ!」になっていたのですが、チームや組織として動く中で大事なことは役割担当と責任所在の明確化だと思っています。
本書の中では「外野手が守備位置を誤ったために打球がヒットになってしまった」例を挙げて「この場合の責任所在は外野手本人・守備位置の指導が行き届かなかったコーチ・選手を起用した監督にある」と書いています。役割が決まっているので責任所在も明確であり、この失敗事例をから各々がやるべきことがはっきりしている点が良いです。
チームワークについての余談ですが、学校の教育とかで「チームワークが大切だ!」という割にはそれが具体的にどういうことなのか説いてくれず、なんとなくの仲良しごっこや一緒にやってる感で語られている傾向があるように感じています。あと役割担当を分担した後で情報共有が大切だと思っているのですが、成果主義による組織内での競争意識向上によっては情報共有を行わないことも危惧されるので、その辺りを考える必要があるのかなと思います。

ワンバウンドボールの練習

これはキャッチャーの練習の話を用いた例。投げ手にワンバウンドボールを投げてもらい、後逸しないようにそれを身体で止めるの動きを身体に覚えさせる練習なのですが、これは実戦に即した形でないので良い練習ではないという話。
この練習をすると投げ手がボールを離す瞬間にワンバウンドを止めに行く姿勢になりますが、実戦ではボールがワンバウンドするかどうかは手を離れた後でないと分からず、そこでワンバウンドすると判断してからボールを止めに行く必要があります。なので、実戦で実行できるように普通のボールを投げてる間にワンバウンドを挟んで止めるような練習をする必要があります。
基礎の基礎ができていない場合は仕方がないですが、この「練習はなるべく実戦に即した形で行うべき」という考え方はどの分野でも当てはまるように感じています。

「同じことをしていたら勝てない」の意味
やられる前に自ら手を打つな。やられる前に手を打つから、反対にやられてしまうのである。

例えば、ある取り組みをして10勝をマークしたピッチャーがいたとして、次の年は必ずマークされるからと新しい変化球の習得など別の取り組みをした結果、全く勝てなくてなってしまうようなケースがあるという。
これはポケモンをはじめとしたゲーム対戦をしていても感じることが多い気がします。上の投手の例だと、いきなり10勝できたものの、その10勝できる取り組みの基礎が定着していないまま別のことに手を出してしまったのが勝てなくなった要因でしょうか。
基礎ができていれば大崩れしないというのはどの分野でも共通すると思います。勿論、同じ手がそのまま通用するほど現実は甘くないのですが、それに対して過剰な意識を持ち、基礎を疎かにしたまま小手先で何か変えただけで通用するほど甘いわけでもありません。
因みに、同じことをしていたら勝てないの意味は「基礎を身に付けるために練習が重要だったとして、練習してるひとに勝つにはそれ以上に練習が必要」という意味です。

時代遅れに耳を傾ける

例えば、著者がよく聞かれる「2007年日本シリーズの山井降板の真相」について。これは監督を退いた頃にも既に語っていたことだが、最近のTV番組出演時に改めて語ると会場にいた観覧者からは感嘆の声が漏れたと言う。
このように既出・常識だろうと思っている情報が意外とそうではないことが多々あるという話で、私も似たような経験をどこかでしたことがあった(はず)ので、情報を提供する側はそのことを理解しておいた方が良いと思います。
これと関連して「他者からのアドバイスは一度は試してみた方が良い」という話もあるのですが、著者がそうだったように合わないと判断した場合は途中でやめるのも手だと語りつつも、その区切りの付け方は難しいように感じました。


○余談
日本シリーズに第9戦以降の規定がなかったらしい、可能性はほぼないとはいえ、大人が真面目に決めてるのに想定されていないのは意外な話だった
・2007年日本シリーズ終戦、山井→岩瀬で完全試合を達成した試合の最終回に一塁がTウッズだったこと
・普段なら守備固めの渡辺に代えるところだが、こういう緊迫感の中では身体が大きい選手が立ってる方が野手に安心感があるとコーチに指摘されての起用らしい
・実際最後のアウトになった荒木の送球は少し浮いてたものの、ウッズが高々手を上げて掴んでいた