「型の変更」に対する意識の持ち方

先日読んだ@さんのブログの第6回TGAポケモンオフのレポート記事に
ニャオニクスの型選択を間違えてたことに気がついて、型を変えたらこれまで相性的にきついと思っていた構築相手にも勝てるようになったし、・・・」
という記載があったのでどんな変更を行ったのか本人に直接伺ってみたところ、努力値配分・持ち物はそのままで、技を一つだけ変更していたようでした。


また、昨年の6月ごろのwi-fi大会でいわゆる柚樹雨パ(ニョロトノキングドラライコウ、FCボルトロスズルズキンハッサム)の6匹で自由にパーティを組んで誰が一番早くレート1700に到達できるか、という企画を行った際に企画参加者4人の技構成と持ち物をブログに載せました。
(その記事のURL:http://d.hatena.ne.jp/acewild53/20130625/1372160935)


だいたい1,2匹が技が少し違ったり持ち物が違ったりした程度という感想でしたが、これを見たユウキさんがツイッター
「同じ6匹なのにこれだけ技構成が違うなんて面白いねー」という類のツイートをしていました。


これらのことを見ていたら、自分が「型の変更」について鈍感になっていると感じました。
では、なぜそれらに対して鈍感になっていたのか。



まず、同じような6匹で構成されているパーティを使う人の数が増えたということが一番大きいでしょうか。
技が1つ違うだけ、努力値配分が少し違うだけ・・・大きな枠組みとしては近いものがあってもその違いによってパーティが対応できる範囲は当然変わり、それは比較して優劣をつけられるものではありませんがパーティの強さは別のものとなります。構築を組む際には一部の技や努力値配分などを迷うようなこともあり、いくつか候補として挙げた選択肢の中からどれかを選ぶのであればどれを選んでも悪くはならなさそうですが、少なくとも自分の中では最も良いと思われる選択肢を最終的に決断しています。それだけ迷うということはやはり選ぶ選択肢によってパーティの強さが変わるということを自覚して構築を組んでいるということでしょう。
しかし、他人のパーティを見るときは視点が少し変わります。他人のパーティは対戦相手として見ることが多く、そのパーティのコンセプトや戦術など大きい部分を予想しつつ、技や努力値配分などの具体的な部分はいくつか有力そうなものを想定しておくような見方をします。そのため、対戦相手のパーティを見るときは詳細をどのようにしているかの違いによる強さというよりも大枠のコンセプト自体の強さに目が向いていて、同じような6匹で組まれたパーティを迎えたときには「この類のパーティはこの程度には強い」という風にそのパーティが持つポテンシャルとしての強さを意識することになります。
自分で自分の構築として考えなければその程度の意識で留まってしまうため、細かい部分の違いは型の違いというよりも自由にチョイスができる部分という風に見えているというのが大きな要因でしょうか。


同じような6匹で構成されているパーティを見掛けることが多くなった理由としては、インターネットを中心に対戦情報の流通が早くなって、他人のパーティの模倣がしやすくなったことが大きいでしょうか。また、使用率の高いポケモン上位10匹の中から6匹を選んだようなパーティも多く、対戦環境や人口が増えたことによって良くも悪くも無難に汎用性の高いポケモンを集めることで隙をなくそうとするプレイヤーが増えたように見えるのも要因としては考えられるかもしれません。
因みに、使用率上位に食い込むポケモンは汎用性が高いポケモンであることが多く、同じような6匹のうちの1匹でも中には拘り眼鏡を持っていたりオボンの実を持っていたりと型が違う・・・と思っていたのを冷静に立ち返ってみると、これはそもそもポケモンが持つ役割が違っていると言え、ここでも鈍感になっていることに気付かされます。


また、昨今の対戦環境がすべての相手に万能に対応するということが厳しくなっていて、長いスパンで数百試合を戦って良い勝率を収められるような構築を組むことよりも、対戦環境の移り変わりに素早く順応して短いスパンで目の前の数十試合を戦って良い勝率を収められる構築を組むことの方が重要視されている傾向にあるように思えます。そうすると、対戦環境によって使用率の高いポケモンに刺さる技やそうでない構成があったりもするので、細かい部分はあくまでカスタマイズ可能な箇所という認識を持ってしまいました。短いスパンでの型の変更による強さの違いを体現しつつも、環境の違いによって強さを微調整するところでも大枠としての強さに目が向いてしまう傾向にあった気がします。


自分で6匹のパーティを作るときは24個の技に「この技はこういう場面で必要だから採用する」と意識の上で「どちらも有用な場面はある」と思いつつ「きっとこっちの方が有用な場面が多い」という風に選択・決定をしているので、自分で考えた場合には最終的にどれかに決断を下すことからも選択肢はどれでもいいということにはなりません。これを無意識のところで行っていたので、このレベルでの変更もしっかり型の変更と言えるものなのだという認識を改めて持たなくてはいけないと思いました。
パーティのコンセプトの強さで勝率はある程度その強さに見合うところに収束していくと思いますが、大枠の部分で収束した部分から勝率をいかに挙げられるかは細かい部分の煮詰め方に関わっているので、そこをより意識していきたいところです。


些細な違いに感じるかもしれませんが、それを大きな変化と思えるかどうかの意識を持てているかどうかは構築を考えるときにどこまで深く考えられているかに繋がっているようにも思えるので、その意識をしっかりと持ち直さなくてはいけませんね。