アニメ「神無月の巫女」の感想

アニメ「神無月の巫女」を視聴したので感想。


たまたまレンタルショップで借りたかったドラマが置いてなくて、何かアニメでも観てみようかと思っていたらこのタイトルを発見しました。「神無月の巫女に」関しては、私の友人が「(他人に推せるかどうかは別としても)面白い」という風にずっと言っていて、“百合”がテーマにあるというのだけ聞いていて特に興味が湧いたりはしていなかったのですが、パッケージを見たときにOPが「Re-sublimity」でEDが「agony」と知ってどれだけ豪華なんだと思い、それだけで観ることにしました((



とりあえず、視聴し始めて一番最初に思ったことは画がそれほど綺麗ではないということ((
綺麗ではないというと悪い表現に聞こえてしまうので、古い(今風ではない)という方が適切かもしれませんね。よくよく考えてみると、このアニメの放映は2004年秋だったみたいで、私は普段アニメを観ているわけではないのでその頃のアニメはどれもやはり今風でなかったのか、またいつから今風と呼べるようなそれっぽい画になったのか、などが全く分かりませんが、8年間の時代の流れを感じました。画の技術のことを言っても時代のせいで仕方がないのでそれに関しては気にしない方向で考えることにしました。
だって、1話の学校の校門までの階段のシーン、階段長いくせにとても急じゃないですか。あれなら、来栖川が足を踏み外すのも無理はないですね((


第1話は設定が分からないのでとにかくそのまま視聴していましたが、いきなりロボットが出てきて驚きました。アニメを観る方はプロモーション映像などを放映前に見るのでしょうけど、タイトルと評判だけでレンタルした私はロボットアニメだとは思っていなかったので驚きです。
2話目でなんとなく設定の少しずつが分かっていくのですが、平穏な村を突然オロチ衆のロボットが襲い掛かるような事態があったにも関わらず、村の人は皆平然と暮らしております。「インターハイ出れなくなっちゃった」ってそれどころじゃないですよね((


そして、1巻を見終えた時点でオーディオコメンタリーがついていることに気付く。実際に演じた声優がストーリーを観ながら話をしてくれるので、とても面白いのですが1巻分に収録されている2話どちらにもついています・・・。「1巻2話→60分×6巻=6時間」で1日1巻のペースで1週間レンタルを消化できると思っていたら1巻が120分でしたね。
それでもオーディオコメンタリーがなければ今回の感想ほど楽しめなかった気もするので、良かったです。


オロチ衆が巫女を倒すために約1話ずつに1人登場するわけですが、大神が強すぎ・・・それと私は昔からロボットがあまり好きではないみたいで。ロボットアクション好きの人からすれば戦闘シーンを楽しめて観ることができたのかもしれませんが、どのオロチが出てきても大神が殴り勝つだけであっさりしていたかなという気はします。終盤で姫宮がオロチの側に立ったときも来栖川大神で臨んだ最終決戦も、他のオロチがあっさりとやられてしまったのでオロチの脅威があんまり伝わってきませんでした。
せっかくオロチのキャラクターに個性を持たせているので、人間体+オロチとしての固有の能力を駆使して戦うという設定(ミヤコは鏡を使った能力で姫宮に心理攻撃を仕掛けていますが)の方が面白かったような気がします。


あと次回予告は「千歌音ちゃん、私どうしたらいいのかな・・・?」で最初からずっと来ていましたが、最終回予告だけは変わっていて欲しいと思っていたら「千歌音ちゃん、私のホント受け取って・・・!」となっていたのでちょっと感動しました。


大神が割と序盤で「俺一人が・・・膝を屈するわけにはいかない!」というような台詞を述べてましたが、なかなかこういう表現ないですよね。あとは姫宮がミヤコの心理攻撃を受けているときにも「私に触るな!」ではなく「私に触れるな!」で細かいところですが上流階級のお嬢様の言葉としてとても良かったと思います。なんでここが印象的かというと、私の友人で「触れるな!」って言った人がいたからなんですけど((
「今の俺にできることはせいぜい地球を救うことくらいだけど・・・」と最終話で大神が平然と語っていましたが、「生まれ変わってもまた見つけて!」など最近ではこういうセリフの使い方を全く見ない気がするのでとても面白かったです。


また詳細な設定などについて多くを語りはしませんでした。
最近のファンタジー物語は、「どうして能力が使えるのか」「その世界はどのように成り立っているのか」など詳細な設定を求めすぎている気がします。ファンタジーで出てくる能力は魔法と表現しても大差ないものばかりで、魔法というのは科学的な理論に基づいた説明ができないからこその魔法であるのでそこに「どうやって能力を使っているのか」という部分に細かい過程を求めるのはナンセンスな気がします。
また、あくまで主観的に感じていることではありますが、最近の作品は多くを説明する余り視聴者が考えることが少なくなり想像力が劣ってきているような印象を受けます。作品を作る側は視聴者の需要に応えるものを作らないと売上に繋がらないので、想像力に欠けた視聴者が多くなると製作側はその人たちに伝わるように詳細を語り過ぎる作品を作るしかなくなってしまいます。
この辺りは、流石に8年も前の作品なだけあって、昨今の作品(普段アニメは観ていないですが)にないものを持っていると感じました。


OP主題歌である「Re-sublimity」はだいぶ前からKOTOKOの曲の中でも特別な価値を感じてるくらい好きな曲です。DVDで視聴すると割と連続して聴くのですがOPに入った瞬間は毎度鳥肌を立てて観ていました((
英語は分からないのですが、「Re」(再び?)+「sublimity」(気高さ、高尚さ)なのでそのまま直訳すると「気高さを取り戻す」ということなのでしょうか。これまで歌詞の意味を深く考えることはありませんでしたが、「沈む月の迷い」「登る太陽の迷い」で1,2番で姫宮と来栖川が対比になって表現されていることが伝わってきますし、最後のサビは1番の歌詞(姫宮)がベースですが最後の部分に「涸れ果てて消えてもいいと 君だけの光になると」というのがあるのが主人公である来栖川の想いを反映させているものだとか思って、KOTOKOの歌詞は素晴らしいなと勝手に感じていました((
「agony」がEDであるだけでなく「Suppuraton-core-」も挿入歌として使われて(大神兄弟のバトルシーンでしたが歌詞はあまり大神っぽい要素を含んでいないようには見えます)いてかっこよかったですね。


“百合”と聞いて面白そうだというイメージがありませんでしたが、その期待を上回る面白さがあったと思います。私も想像力に欠けている視聴者の一人であるため、「神無月の巫女」が分かる人と物語を覚えているうちに話をしてみたいですね。ただ、私は“百合”ジャンルにはあまり興味がないので、なかなか他人には勧められなさそうですけどね((


嫌いな食べ物があると、料理を作ってくれる人間に舌を握られてしまうので気を付けましょう((