2020年から2021年にかけての年末年始に「劇場版 ポケットモンスター」シリーズを21作品すべて視聴しました。
ので、それぞれの評価と感想をランキング形式で書いてみました。
オススメではなく嗜好です。
あくまで個人の嗜好であり、これを見た人によって納得できる点そうでない点は分かれると思うので、何が評価の機軸になっているかを先に示しておきます(具体的にどの要素が比重がとかまで書くとしんどいので細かいレベルまでは省略)。
■序盤から中盤にかけて退屈しない
ポケモン映画という期待値低めのフィルタを通して鑑賞しているので、最後まで観ようと気持ちがついていけるかは大事です。特に映画では手持ちポケモンをお披露目する時間が用意されていて、アニメやキャラクターがすごく好きな人にとっては大事だと思うのですが、私はそこまでではないのでそういう時間が長く続いていると退屈に感じてしまいます。
だいたいは冒険物であるため、サトシ達がなすべき目的が早い段階で分かっていると見やすい印象はあります。
■展開的なご都合主義には茶々を入れない
「なんでビームを受けたら石化して周りの涙がそれを溶かすのか」「10歳どころか人間の身体能力を超越してる」「システムがガバガバじゃん」など、ツッコミ始めるとキリがないので、そういったご都合主義には目を瞑ります。
その代わり、人物やポケモンのキャラクターとしての描写についてはご都合主義で済ませません。なので「よく分からないけどめでたし」みたいな作品は評価が低くなりがちです。
■作りが丁寧な作品が個人的に好み
登場するキャラクターの信念や行動原理にブレがない等作りがしっかりしている作品を好む傾向にあります。なので、ストーリーが王道パターンだったり典型的なキャラ付けだったとしても、しっかりしているならそれで評価が落ちることはあまりないです。
普通の映画と比べると作品時間が短いため、描写不足は避けられない側面もありますが、それでも工夫の余地はあると思ってしまいます。また、商業的な事情も仕方ないとは思いつつ映画としては評価を下げる一因になります。
【評価ランク】
※すべて「ポケモン映画」という枠組みを前提にしていて、その中での相対的な評価になります
■ Aランク…(好き)
「七夜の願い星ジラーチ」
「幻のポケモン ルギア爆誕」
■ Bランク…(面白さを感じながら見れる)
「結晶塔の帝王エンテイ」
「みんなの物語」
■ Cランク…(とりあえず普通に見れる)
「ミュウツーの逆襲」
「幻影の覇者ゾロアーク」
「水の都の護神ラティアスとラティオス」
「光輪の超魔神フーパ」
■ Dランク…(あまり面白くはないが、見どころがないわけではない)
「アルセウス 超克の時空へ」
「ボルケニオンと機巧のマギアナ」
「蒼海の王子マナフィ」
「ギラティナと氷空の花束シェイミ」
■ Eランク…(全体通してあまり面白くない上に見どころも少ない)
「ミュウと波動の勇者ルカリオ」
「破壊の繭とディアンシー」
「神速のゲノセクト ミュウツー覚醒」
「セレビィ時を越えた遭遇」
「裂空の訪問者デオキシス」
「ディアルガvsパルキアvsダークライ」
「キュレムvs聖剣士ケルディオ」
「ビクティニと黒き英雄ゼクロム」
「キミに決めた」
評価が下位の作品からそれぞれの感想を続きから(※ネタバレあり)。
○21位「キミに決めた」(Eランク)…第20作、2017年
【あらすじ】
10歳の誕生日を迎えたマサラタウンのサトシは、オーキド博士からピカチュウをもらいポケモントレーナーとしての旅を始める。最初は一向に心を開こうとしないピカチュウだが、2人で窮地を乗り越えたことでパートナーとして意気投合、その後も数々の出会いや苦節を繰り返しながら旅を続ける。そして、サトシは旅立ちの日に手に入れた虹色の羽が伝説のポケモン・ホウオウに認められた証であることを知り、仲間たちと共にホウオウに会いに行くテンセイ山を目指す。
【感想】
アニメの世界線のパラレルワールドとして始まる物語。ポケモンを全く知らない人や懐かしめる人には評判良いかもしれませんが、私の嗜好には刺さらなかったどころか逆効果でした。
この映画にはアニメ本編をオマージュした要素が多く取り込まれています。例えば、ピカチュウとの和解・捨てられたヒトカゲ・バタフリーとの別れ…など。大人になったポケモン世代をターゲットにしているのか懐かしい要素ではあるのですが、全体感を見るとそういうシーン要素ありきで無理やり線を繋いだような展開で芯のない脚本に感じました。
作中で最も衝撃的だったのはピカチュウが人の言葉を喋るシーンです。実際には喋ったのではなく「サトシにはそう聞こえる程互いに通じ合っている」描写ではあるのですが、そこまで私たち視聴者は第三者としてサトシの物語のアルバムを眺めているような立ち位置にいると思っていたので、突然サトシの視点になることに違和感を覚えました。
マーシャドーが何者なのかも最後まで分からなかったりホウオウに選ばれた人間が何をすべきなのかも分からなかったり話に不明な部分はあるものの、それを差し置いても全体的に「こういう話を見たら感動するでしょ?」という製作側の気持ちが見え見えなのであまり気分が良くありませんでした。
○20位「ビクティニと黒き英雄ゼクロム」(Eランク)…第14作、2011年
【あらすじ】
サトシ達はかつて大地の民の王国として栄えていた街・アイントオークにやってきて、その中で幻のポケモン・ビクティニと出会い仲良くなる。一方、大地の民の青年・ドレッドは王国の復活を掲げており、その真実を求める姿にレシラムが力を貸すことになる。ドレットは野望を実現するためにビクティニの力を利用して犠牲にしようとするが、それを止めようとするサトシの理想を求める姿にゼクロムが共鳴。理想と真実、2匹の伝説のドラゴンがぶつかり合う。
【感想】
ゼクロムとレシラムで2本同時上映ですが、内容は酷似しているので今回はゼクロムでまとめます。理想vs真実という決して答えがない対立から、どちらが正しいかではなくお互いの考えを認め受け入れるメッセージを描くことはBW作品のテーマとも言えるので、2本同時上映という挑戦的な試み自体は評価したいです。ただ、結果としてその内容がお粗末だったので評価は低いです。
イマイチだと思うのは大きく2点で、1つはドレッドのキャラクター軸が定まっていないことでしょうか。母の夢を叶えるためと言っても母はビクティニを犠牲にすることに反対しています。妹のカリータに心優しいと慕われる彼がそこまでして真実を追い求める動機やビクティニを犠牲にすることへの逡巡などが全く描かれていません。
もう1点はサトシがゼクロムを目覚めさせるまでの流れが粗雑なことです。サトシに気高い理想があるというよりレシラムが強すぎるから対抗策としてという動機がしょぼく、ゼクロムに理想を語る際にも「ビクティニに海を見せてやりたいんだ!」と前触れのないことを聞かされて驚きました(一応ビクティニは街の外に出られないという設定はあった)。
対立構造から絶対的な正解のない展開を描くための同時上映という期待を勝手にしていましたが、そもそも対立構造が成り立っておらず、二人が協力するのも単にドレッドが見識不足で間違ってましたというもので、お互いの良さを認め合うような展開にもならなかったのが残念でした(いや、これも自分で蒔いた種だしビクティニは犠牲にしていいのに街を犠牲にしてはいけないという心理分からないですけどね)。
○19位「キュレムvs聖剣士ケルディオ」(Eランク)…第15作、2012年
【あらすじ】
イッシュ地方で旅を続けるサトシたちは乗り込んだ列車でひどく傷ついたポケモン・ケルディオに出会う。ケルディオは聖剣士になるためにキュレムに戦いを挑んだが、勝負の途中で逃げ出してしまい、助けに来てくれたコバルオンら聖剣士たちは氷の中に囚われてしまう。サトシとケルディオは聖剣士を助けるためにキュレムの元へ向かう。
【感想】
サトシ御一行以外に人間の登場人物がほとんどいないことが特徴的で、そういう意味でもケルディオの成長にのみ焦点を当てた作品です。ただ、そのための設定や描写も不足していて、ただただ平坦に話が終わるところが面白くないです。
そもそも戦う資格がないのにケルディオが喧嘩をふっかけたところから始まっているので、キュレムとの再戦を経て成長という物語に違和感があります。また、サトシはこの作品においてはケルディオの戦いを見届ける役割を担うわけですが、一緒にキュレムのいる谷(?)に向かい叱咤激励を飛ばしただけで、何もしていません。他作品は無茶で無謀な行動をすることが多いだけに、サトシのそういう姿勢を通じてケルディオが覚悟の姿になるような展開くらいは欲しかったです。
加えて劇中には「聖剣士が理解する剣の重さ」という考え方があるのですが、ケルディオが何を思い何を感じて剣の重さを理解したのかを語ることで成長を示してほしいと思いました。これは修行中のケルディオにテラキオンがそれを説明しようとしたのをコバルオンに「自分で考えるべきだ」と諭される伏線的な場面もありました。ケルディオは最終的にキュレムに負けつつも聖剣士として認められるため、そういう異例の展開を説得的にするためにも必要だったと思います。
キュレムがフォルムチェンジして戦う演出がちょっとだけカッコいい分でいくつかの作品より評価を上にしました。
○18位「ディアルガvsパルキアvsダークライ」(Eランク)…第10作、2007年
【あらすじ】
ポケモンコンテストに参加するためにアラモスタウンにやって来たサトシ達。綺麗な街並みを観光している中で庭園が荒らされており、そこでダークライという悪夢を見せる幻ポケモンと出会う。その頃、街では少しずつ異変が起こり始めていて、アラモスタウンは街の外に出れない異空間となる。そして、アラモスタウンに時間を司る神・ディアルガと空間を司る神・パルキアが現れて争いを始める。
【感想】
映画館でDSを開いてポケモンを受け取るシステムが始まったのはこの映画からのはずで、当時は新鮮だったという思い出こそありますが、作品の内容としてはイマイチです。
イマイチだと思うのはストーリーの薄さと伝説ポケモンのキャラクターが立っていないことです。ディアルガとパルキアはなぜ争ってこの街にやってきたのかこの作品だけでは分からず、終始ビームを打ち合うだけの単調なバトルシーンで結構な尺を使っています。ダークライはディアルガパルキアから街を守るために姿を現すのですが、悪夢を見せる特性から人間に忌み嫌われても仕方がないです。これだけ見ると設定は悪くないのですが、サトシ達に事態の説明をしないことで話がややこしくなっているだけなので、人間の言葉を喋らせる設定が全く活きていません。誤解を解いた後も戦いを終わらせる音楽を鳴らすために塔を登るだけという地味な展開で、伝説ポケモンの凄みが伝わってくる場面もあまりなかったです。
余談ですが、今回見直した際にヒロインのアリスの幼少期を演じてたのが私の好きな声優である能登麻美子であることに気付きました。当時映画館で観たときはまだアニメ文化のことを何も知らないピュア(?)な状態だったので、そういう自分の変化を感じたのが一番印象的な出来事でした(
○17位「セレビィ時を越えた遭遇」(Eランク)…第4作、2001年
【あらすじ】
ハテノの森を訪れたサトシ達は、倒れているユキナリという少年に出会う。彼はセレビィの持つ時渡りの能力でセレビィと共に40年前からタイムスリップしてきたという。ユキナリと離れ離れになったセレビィを探して見つけ出すが、そこにセレビィを狙うロケット団のビシャスが現れ、2人はセレビィを守るために戦う。
【感想】
唯一、観たことがあるかどうか曖昧だった作品。初期の作品はしっかりテーマ性を持って作っている印象だったので期待していたのですが、最後まで盛り上がる部分を見つけられないまま終わりました。
物語としては、結局セレビィがビシャスに囚われてしまい、邪悪な心を植え付けられて森を破壊するのをサトシ達が止めるもののセレビィが力を使い果たしてしまうというものです。邪悪なセレビィを止める手段が「思い出せ!」と呼びかけ続ける(サトシ達とは昨日一緒に遊んだ程度)だけというのが地味で、セレビィが心を取り戻してから何の前触れもなく急に力尽きてしまうこと、その割には仲間のセレビィがやってきてあっさり復活すること、セレビィを死に追いやったビシャスは実は小心者だったというコミカルなオチ、など急加速と急ブレーキが連続する展開だったように思います。
この作品は環境破壊という現実的な課題への訴えをテーマにしていると語られていますが、それは人間が自分たちの生活のために他の生態の居場所を失くすことへの意識が希薄であることが問題なのであって、自分を誇示するために森を破壊したビシャスを例に「悪いのは(操られていた)セレビィじゃなくて人間だ!」という台詞があるのは、どこかズレていると思います。そういう意味では、汚れてしまった湖に「スイクン、あなたは水をきれいにするチカラがあるんでしょ?湖の水をきれいにしてくれ!」というやり取りには人間のエゴを感じられたので、そこだけ面白かったです。
○16位「裂空の訪問者デオキシス」(Eランク)…第7作、2004年
【あらすじ】
バトルタワーのあるラルースシティにやって来たサトシ達はトオイという少年に出会う。彼は科学者の父親に連れられて4年前に隕石と共にデオキシスが飛来した現場に居合わせていて、そこで起きた事件のトラウマからポケモンに触れることができなくなってしまっていた。サトシはトオイとポケモンが仲良くできるようお節介をするが、ラルースシティに突如としてデオキシスが飛来して町の人々を次々と連れ去る。町に取り残されたサトシ達はデオキシスから逃げ回りながら町の人々を助けるために戦う。
【感想】
ルギア爆誕以来に映画館で見た映画でした(一度ポケモンを卒業してから努力値などを知って再度戻って来た頃)。当時も面白かったという印象は特に残っていなかったのですが、今観てもさほど変わりませんでした。
一番大きな理由としてはサバイバルなのに緊迫感がないことでしょうか。サトシ御一行はレギュラーの4人に加えてラルースシティで出会った6人と人数が多く、デオキシスに連れ去られるのも2人だけで追い詰められている感じもなければ、みんなを助ける際もデオキシスの邪魔を受けずにやり遂げてしまうので、とてもあっさりしています。
次にレックウザの存在が蛇足なことでしょうか。レックウザはデオキシスに縄張りを冒されたと勘違いして戦い始めるのですが、元を辿ればそれは4年前でわざわざ今ラルースシティまで追ってきたという展開にも少し無茶があります。その割には街の危機を一緒に救うなどすることもなく終始暴れていただけで、破壊光線を打つだけの単調なバトルシーンの尺が結構長くとられているので退屈です。
これは細かい話で、クライマックスにはトオイがプラスル・マイナンを助けるために2匹を抱きかかえるシーンがあるのですが、その直前にトオイ自身がデオキシスに助けられる際に抱きかかえられている描写があるので「ポケモンに触れられなかった少年がそれを克服した」ストーリーの感動が薄まって感じました。
○15位「神速のゲノセクト ミュウツー覚醒」(Eランク)…第16作、2013年
【あらすじ】
サトシ達はニュートークシティという街でゲノセクトというポケモンに出会う。ゲノセクトの「ウチに帰りたい」という言葉を聞いたサトシは自分が家に帰すと約束するが、そこに3匹のゲノセクトと赤いゲノセクト1匹が現れる。サトシ達を敵だと認識したゲノセクトは攻撃を仕掛けてくるが、そこに突如現れた伝説のポケモン・ミュウツーによってサトシは守られて、ゲノセクト達は一旦去っていく。
復元・改造をさせられて帰る場所を失い全てを敵だと認識するゲノセクト、同じように造られて人間を嫌うミュウツー、境遇の似たポケモン同士が戦いを通して自分の居場所を再認識する物語。
【感想】
ミュウツーの声優を高島礼子が務めることからミュウツーの逆襲とは別個体で、過去との比較をされることが多い作品ですが、そこは切り離して観ることができました。しかし、それでも評価としてはイマイチです。評価の低い要因は大きく2つで、1つは序盤退屈なこと、もう1つはクライマックスでミュウツーとゲノセクトが和解するシーンに説得力が何もないこと、です。
いきなりゲノセクトとミュウツーが現れる割には、どちらも一旦サトシ達の前から去っていくので、普通に街で過ごす時間があって次にどちらかがアクションを起こすまで目指すべきところもなく少々退屈します。最終的にはミュウツーとゲノセクトが戦いの末に和解する物語なのですが、ミュウツーがゲノセクトを宇宙まで連れて行き、地球の美しさを眺めながら「人間もポケモンも全てが仲間」と説かれても納得感がありません。特にミュウツーは自分の居場所を見つけつつも人間に対しては良い思いをしていなかったのに急に仲間と認識していて、敵意むき出しだったゲノセクトがそれでコロッと変わるのも不自然だと思います。
良いところはオーダイルをはじめとしたニュートークシティに住むポケモンたちの頑張りでしょうか。こう書くとサトシ達は何をやっていたのかという気がしてきますね(争いを止めようと頑張ってはいた)。
○14位「破壊の繭とディアンシー」(Eランク)…第17作、2014年
【あらすじ】
地下王国・ダイヤモンド鉱国ではエネルギー源の聖なるダイヤを中心にメレシー達が暮らしていた。聖なるダイヤを生み出せるのは王国の姫・ディアンシーだけだが、ディアンシーにはまだその能力がなく聖なるダイヤの寿命は近づき王国が滅亡の危機を迎えようとしていた。ディアンシーは能力を開花させるために生命を司るポケモン・ゼルネアスを探す旅を始める。
ある日、ディアンシーは街中で彼女を狙う盗賊に囲まれるが、通りすがったポケモントレーナー・サトシに助けられて、ゼルネアスを探す旅を共にする。
【感想】
あらすじで名前を挙げませんでしたが、タイトルの破壊の繭は眠りについたイベルタルのことを指しています。ただ、イベルタルの登場に必然性もなければ、ディアンシーに成長もない物語なので面白くありません。
ディアンシーの能力開花はゼルネアスのフェアリーオーラに触れることで起きるので、旅の中で出会ったものや感じたことがディアンシーの糧になる描写はあまりなく、メガディアンシーになる見せ場もイベルタルの攻撃を一時的に防ぐだけと見せ場が少ないです。そのイベルタルの暴挙を止めるのもゼルネアスなので、内容としてはゼルネアスのプロモーションと言っても過言ではないかもしれません。
ディアンシーのお姫様口調とイベルタルが森や生命を破壊するシーンのカッコよさは評価ポイントです。あとディアンシーを狙う盗賊はマフォクシー使いとゲッコウガ使いに絞ってブリガロン使いはいらなかった気がします(でも御三家3匹は出したいんだよねきっと)。
○13位「ミュウと波導の勇者ルカリオ」(Eランク)…第8作、2005年
【あらすじ】
オルドラン城では数百年前の戦争を治めた勇者アーロンを祀り、毎年勇者を決めるポケモンバトルの大会が行われていた。その大会に参加したサトシは見事優勝して、宴の中でアーロンの杖を手にするが、その杖に数百年眠っていたルカリオが封印から解き放たれる。ルカリオが語るにはアーロンは戦いを治めたのではなく自身や城を見捨てて逃げ出したという。
一方、サトシのピカチュウとロケット団のニャースがミュウに連れ去られてしまい、サトシとルカリオはミュウがいるはじまりの樹を目指す。
【感想】
ダイヤモンドパールが発売される前だったので当時はルカリオが幻のポケモンだと思って観に行った記憶があります。色々聞いていると評判の良い作品らしいのですが、個人的には評価が低いです。
理由は大きく2つで、1つは序盤が退屈なこと。1時間半とポケモン映画にしては長いのですが、ルカリオがサトシ達の前に現れるまで30分と結構長く、そこでようやくピカチュウを迎えに行く旅の目的ができるものの、そこからも移動が長いので前半部分がかなり退屈でした。
2つ目はルカリオの最期に感動できなかったこと。アーロンの真意を理解したルカリオが窮地を脱するために波動を使い果たして力尽きるのですが、そうなった原因はミュウやサトシ達にあり、彼らが自責の念を負うこともなくルカリオの勇ましい姿と別れで感動を誘う展開にイマイチしっくり来ませんでした(補足すると、ミュウは遊び相手が欲しくて大樹に連れてきたのだが、大樹が人間を排除する機能を持っていて、サトシ達が入り込んだ際にミュウがそれを不思議な力で制御したせいで樹のバランスが崩れてしまったというもの)。
時間の花のご都合設定には頑張って目を瞑りましたが、それでも自分の中では評価が上がらなかったです。
○12位「ギラティナと氷空の花束シェイミ」(Dランク)…第11作、2008年
【あらすじ】
旅を続けるサトシ達の元にシェイミというポケモンが現れる。シェイミはグラシデアの花畑に行く途中に迷子になったらしく、サトシ達にそこに連れて行ってほしいとお願いする。するとサトシ達は突然鏡の中に取り込まれて、気が付くと別の世界にいた。そこは現実世界と対になる反転世界と呼ばれる世界で、2つの世界を行き来できる伝説ポケモン・ギラティナが棲んでいた。
反転世界の中で研究者ムゲンと出会い、サトシ達は何とか現実世界に戻るものの、そこにシェイミの力を利用してギラティナを現実世界に連れてこようと企む人物・ゼロが襲い掛かる。
【感想】
4世代映画は三部作という設定なのでダークライ映画と繋がっている設定になっています。これより評価を低く置いている作品と比べると「シェイミを花畑に連れて行く」という目的がはっきりしている分見やすかったのですが、色々と物足りない部分はあります。
まずは最後20分くらいのバトルが蛇足に感じたことです。ゼロの手からギラティナを助け出して話は終わりだと思っていたのですが、そこから反転世界での戦いが始まります。この戦いはゼロが戦闘機に乗っていることもあってポケモン的なバトルは発生せず、反転世界の作画も前半よりだいぶ省力化されていたことから、ゼロが拘る美しい世界としても描写が足りなかったように思います。そして、そのゼロがどうして反転世界に拘っていたのかはもう少し描写があっても良かった気がします。サトシも反転世界は現実世界を維持するために汚れることが役割であることを説くのですが、ゼロがそれを受け入れない(聞き流して反論しない)ため議論にすらなっていません。例えば、彼が現実世界で辛い思いをしたときに反転世界に魅了された過去設定などがあると拘る説得力も出たのではないかと思います。
因みに、この映画の一番の見どころはランドフォルムのシェイミが少し素直じゃないところがかわいいことで、その評価による底上げは大きいです。
○11位「ポケモンレンジャーと蒼海の王子マナフィ」(Dランク)…第9作、2006年
【あらすじ】
ある日、ファントム海賊団の団長・ファントムは海底でマナフィのタマゴを手にするが、海賊団に潜入していたポケモンレンジャーのジャッキーにそのタマゴを奪取されてしまう。
サトシ達は旅の道中でポケモン水中サーカス・マリーナ一座と出会う。ひょんなことからしばらく行動を共にすることになるが、そこにファントム海賊団がタマゴを狙って現れ、その最中でタマゴから産まれたマナフィは偶然にもハルカを母親だと認識する。実はマリーナ一座は水の民の末裔で、一座に潜入していたジャッキーと共にマナフィを孵して海底神殿に連れていく使命を担っており。サトシ達はマナフィが海底神殿に行くまで行動を共にして見届けることに。
【感想】
ポケモンレンジャーを持っていないと配布を受け取れないという理由で劇場へは見に行かなかった作品です。決して面白くないわけではないのですが、色々と設定がもったいなく物足りない印象が強いです。
この作品をちぐはぐにしているのはポケモンレンジャーの存在でしょうか。レンジャーを題材にしたことでポケモンバトルの要素がなく、人間が頑張る構図になってしまいます。ジャッキーの見せ場は一番最初の潜入捜査のときのみで、以降はレンジャーがどういう存在なのか説明もないまま最後まで存在感がなく、結局ポケモントレーナーである10歳のサトシがシリーズNo.1レベルで体を張るシーンが続くので、ポケモン映画とは何なのかを少し考えさせられてしまいます(マナフィがサトシを父親のように認識していることから母と子を守る父の姿を描きたかったという解釈はできなくはないが10歳の少年少女の父性母性と言われてもピンと来ない)。
見どころは海賊・ファントムの存在感でしょうか。悪役キャラを上手く立たせるためには動機や背景の描写が不可欠ですが、海賊という設定は「ロマンのために宝を狙うのが当然」という共通解釈があるのでそれがいらず、他の悪党と比べてもコミカルな演出でしつくこく登場させられる点が良いですね。因みに、よくネタにされるサトシの超人的身体能力や海の勇者の能力などはご都合主義として受け入れることができているのですが、最後にサトシ以外の人間が勇者の能力を使えているのはちょっとおかしいと思いました。
○10位「ボルケニオンと機巧のマギアナ」(Dランク)…第19作、2016年
【あらすじ】
旅をするサトシ達の元に突然ポケモンが空から降って来た、そのポケモンの名はボルケニオン。ボルケニオンはマギアナを助けるためにアゾット王国を目指しているが、落ちてきた際にサトシとボルケニオンが特殊な鎖で繋がってしまい、2人は行動を共にすることになる。
無事にマギアナを救出してボルケニオンが帰って来たのがネーベル高原。ここは人間たちに捨てられたポケモンが住み着いていて、ボルケニオンは人間や人間と仲良くするポケモンのことを嫌っている。そこに再びマギアナを手に入れようとアゾット王国の手が忍び寄り、サトシ達はボルケニオンと協力して立ち向かう。
【感想】
劇場で観たときはYUKIが主題歌を歌っていることだけで満足して勝手に良い印象を持っていたのですが、見返してみると良い場面もあることにはありますが思っていたほどではなかったです。
ボルケニオンが序盤で「ポケモンは嘘をつかないが、人間は嘘をつく」と言っていましたが、サトシ達と共に時間を過ごして戦ったことで、最後はみんなを守るためにボルケニオン自身が嘘をつくという心情の変化がとても良いと思いました。また、敵役は兵器を利用してポケモンを強制的にメガシンカさせていたのに対して、サトシ陣営は絆変化のゲッコウガとメガリングを用いたメガサーナイトという対比描写も好きです。
評価が上がらなかったのは、ロケット団のニャースの立ち位置のせいでしょうか。ロケット団も敵側に立ってポケモンを強制的にメガシンカさせることをしていたのですが、ポケモンの気持ちや苦しみが分かるニャースがそのときどういう心情でいたのでしょうか。ニャースにはその後マギアナの声を代弁する役回りが与えられるのですが、涙ながらに感情を伝えられても先のシーンがあったことも含めて感動を押し付けられている感じがして、あまり良い気分にはならなかったです。
あとはプロモーションの一環なのかメガシンカポケモンが全て登場します。その数は20弱と非常に多いのですが、このときのサトシの手持ちにはルチャブル・オンバーン・ファイアローとダイナミックな戦いを描写しやすいポケモンが揃っていたこともあって、空中戦を描けたと思うので、もっと数を絞ってバトルシーンをしっかり描いてほしい気持ちはありました。
○9位「アルセウス超克の時空へ」(Dランク)…第12作、2009年
【あらすじ】
サトシ達はミチーナという町でポケモンと心を通わせる能力を持つ少女・シーナと出会う。かつてミチーナはアルセウスから命の宝玉を授かることで土地を発展させたが、ミチーナの長・ダモスが命の宝玉を返す約束を反故にしたという。ダモスはシーナの祖先であり、アルセウスが目を醒ます日にダモスに代わって宝玉を返そうとしていた。
そして、覚醒したアルセウスにシーナは宝玉を返そうとするが、シーナが代々受け継いできたその宝玉はなんと偽物だった。再びアルセウスの怒りを買って争いになるが、サトシ達とシーナはディアルガの力を借りてダモスが宝玉を返す約束の日に飛んで過去の真実を探る。
【感想】
4世代映画は世界戦が繋がっている設定ですが、前作を観ていなくても普通に観ることができます。タイムスリップして歴史を変える物語は定番ではありますが、逆に言えば王道なので外れることもありません。そのため、ここまで挙げてきた作品の中ではまともな方だと思いますが、それ以上でも以下でもないためこの位置付けにしました。
タイムスリップした先ではダモスを裏切るギシンという男がいて、彼を阻止するのががサトシ達が目指すところになるのですが、ダモス・ギシンともミチーナの発展を切に願っていながらアルセウスとどう向き合うかで意見が分かれているという対立構造で、それぞれしっかりキャラクターが立っているところは良かったです。アルセウスを裏切ったギシンは「宝玉を返したことで再びミチーナは荒れていく・・・」(曖昧)という言葉を残しますが、現在の世界線に帰ってきてもミチーナが豊かな街であったのは、宝玉に頼らずそこに暮らす人々が努力した結果だという回答の見せ方も個人的には好きでした。
強いて言うならディアルガ・パルキア・ギラティナがアルセウスとの単調なバトルシーン。ディアルガはサトシ達を過去に連れていく役割がありましたが、残り2匹にはありませんでした。でも、ダークライの映画のようにバトルシーンに尺を大きく使っていたらもっと退屈だったと思うので、その意味では反省を踏まえていると言えるかもしれません(?)
○8位「光輪の超魔神フーパ」(Cランク)…第18作、2015年
【あらすじ】
デセルシティを目指すサトシ達は旅の道中でフーパという小さな幻ポケモンに出会う。そこにバルザという戒めの壺に操られた男が現れ、封印されていたフーパの能力を解放してしまうが、壺が壊れてしまったことで行き場をなくしたフーパの怒りの影は巨大な姿で実体化してしまう。
影の姿をもう一度封印する壺を作り直す時間を稼ぐために、小さいフーパと巨大なフーパがお互いに伝説ポケモンを呼び出しながら壮大なバトルを繰り広げる。
【感想】
フーパが呼び出した伝説のポケモンたちが迫力ある戦いを繰り広げるバトル映画です。そういう意味で他作品とテイストが違っているのですが、伝説が安売りされていることとストーリーの細部に拘らなければ楽しく見れる映画だと思いました(細部を気にしてしまう質なのでこの評価)。
まず一番の見せ場である伝説ポケモン同士のバトルシーンが結構できています。過去の単調なバトルシーンに反省があるのか、サトシ陣営はラティアス・ラティオス・レックウザで構成されていて、パワーのあるポケモンに対してスピードで翻弄していくバトルが良いアングルで描けています。そして、途中で全員がメガシンカする展開でアクセントをつけることもできていたので、さほど飽きずに見ることができます(敵側の伝説ポケモンはもう少し数を絞っても良かった気はしています)。
ストーリーで一番気になるのはフーパが理解すべき戒めの意味が何なのかよく分からないことでしょうか。それを理解しないと自らがリングをくぐることはできないと序盤で伏線が打たれていて、最後にそのシーンが来るのですが、サトシの「戒めなんて乗り越えろ!」というセリフがあるように、子供向けに難しい言葉を使っただけでそこまで細かいことは考えていないのかもしれません。
フーパは小さい姿が釘宮理恵で大きい姿が山寺宏一と豪華な配役になっていて、どちらの姿もお茶目なセリフが多いことからかわいらしいのも評価点ですね。でも、一番カッコよかったのは唐突に現れて後光にさされたアルセウスでした。
○7位「水の都の護神ラティアスとラティオス」(Cランク)…第5作、2002年
【あらすじ】
サトシ達は水の都・アルトマーレにやってくる。街を観光している中で怪盗姉妹に狙われる女の子を助けるものの、女の子は姿をくらましてしまう。その後、もう一度見かけた女の子を追いかけて街にある不思議な壁をくぐると、そこには緑が綺麗な庭園が広がっていた。そして、そこで女の子・カノンとカノンの姿に変身していたラティアスと出会い、心の雫によって街が守られていることを教えてもらう。
その秘密の庭園の存在を知った怪盗姉妹は早速心の雫を狙い、ラティオスが捕まってしまう。なんとか逃げきったラティアスはサトシに助けを求め、サトシはラティオスを救うために街の灯台へ向かう。
【感想】
作中の水の都・アルトマーレはイタリアの都市・ヴェネツィアをモデルにしており、そういう意味でも世界観は綺麗です。ストーリーに意外性はないもののはずれもなく、もはや街そのものを主人公とした映画だと感じているので、そういう意味では美しい雰囲気を堪能できる良い映画ではないでしょうか。
序盤から水上レースやカノンを連れて逃げたり追いかけたり、街の中をぐるぐると駆け回る場面は多く、背景の綺麗な街並みを見せたいという思いはひしひしと伝わってきます。敵役が美しいものを狙う女怪盗だったり、最後のキスシーンで余韻を持たせる演出もがあることからもロマンを感じさせる美しい世界観を壊さないよう彩りを考えているのかなと思ったりしました。
ストーリー自体は明快なのでそれほどツッコミどころもないのですが、強いて言えばラティオスをもう少しフィーチャーして欲しかったです。特に街の危機に瀕した際にラティアスとラティオスが津波を抑え込む場面がサッと簡単に済んだように見えた割にはラティオスは最後の力を振り絞っている状態だったので、勇ましい姿を見たかったなというところです。
○6位「幻影の覇者ゾロアーク」(Cランク)…第13作、2010年
【あらすじ】
ポケモンバッカーという競技のワールドカップが開かれるクラウンシティへ向かうサトシ達はゾロアに出会う。ゾロアはゾロアークを探しているというのだが、クラウンシティではライコウ・エンテイ・スイクンがゾロアークに操られて暴れていることから出入りが閉鎖されていた。
これらは全てワールドカップ主催のコーダイという男の計画だった。ゾロアを人質に取られたと思い込んだゾロアークに事件を起こさせる隙にセレビィが現れる時の波紋を見つけ出して、未来を見る能力を自分の物にしようと企んでいた。サトシ達はコーダイの野望を阻止するために、ゾロア・ゾロアークと共に立ち向かう。
【感想】
人生で初めて「1回しか観ないのに前売り券を複数買った」映画でした。イリュージョンを使った化かし合いをテーマにしているだけあって、ポケモン映画にしては展開が二転三転するワクワク感があるので比較的面白い方だと思いました。
コーダイがブレずに私利私欲のためにセレビィを狙う様と未来を一部視る能力の強さはポケモン映画屈指のヒールとして存在感があるのですが、彼が視ていた未来はイリュージョンによって作られた瞬間でその妄信に溺れていく様もある意味人間味があって好きです。ゾロアとゾロアークはそれぞれ思い合う絆を描きつつも、しっかり2匹ともコーダイを騙す形で活躍するのでキャラクターとしても立っています。また、エンディングで未来を視る能力に対して、ロケット団が「未来がどうなるか分からないから今がハラハラドキドキして楽しいんじゃない」と回答を示しているところも好きです。
気になるところはスイクン・ライコウ・エンテイの蛇足感。イリュージョンを魅力的に表現するためにゾロアークが伝説のポケモンに化ける演出は良かったものの、後に本物が登場してゾロアークと戦うシーンは要素がビジーになってしまう点でいらなかったように思います(これがないと私たちの零度スイクンは存在しなかったことになるんですけどね!)。
あとこれは余談で、コーダイの手下の人がハッサムを使っているのですが、このトレーナーの名前がグーンだと分かったときに「グーンのハッサム」を思い出してクスッとしてしまいました(
○5位「ミュウツーの逆襲」(Cランク)…第1作、1998年
【あらすじ】
幻のポケモン・ミュウの遺伝子を基に人間によって造られたミュウツー。ロケット団に利用されながら何のために生まれたのか自問を繰り返し、自分が人間でもポケモンでもない葛藤からロケット団を裏切り、自分を造り出した人間への逆襲を決意する。
一方、ポケモンマスターを目指して旅を続けるサトシの元に最強のトレーナーを自負する者から招待状が送られてくる。
【感想】
私の人生で初めて映画館で観た映画です。当時どういう感想を抱いたのかを全く覚えていないですが、何十回もリピートしていなくてもどういうシーンがあったかをカットレベルで覚えているものが多いため、ある意味思い入れのある作品です。
単に見慣れてしまっただけかもしれませんが、ミュウツーのポケモンの強さとしての存在感やサトシ達の冒険的な要素も含め全体的に退屈するシーンがないため見やすい点が好印象です。強いて言えば、あれだけ自分の存在意義について葛藤していたミュウツーがサトシが戦いを止めに入って石化してオリジナル・コピー共にそれに涙する出来事を経て「たしかにお前も私も既に存在しているポケモン同士だ」と考えを改めるのはやや飛躍しているでしょうか。
因みに、2019年には「ミュウツーの逆襲 EVOLUTION」が公開されましたが、ほぼほぼリメイクでバトルシーンなどの尺を伸ばして時間調整しているように感じました。よほど昔の作画に耐えられないなどの事情がなければ1作目で事足りると思ったので、今回EVOLUTIONは評価対象には加えませんでした。
○4位「みんなの物語」(Bランク)…第21作、2018年
【あらすじ】
フウラシティはかつて荒れていた街だったが、伝説のポケモン・ルギアが年に一度街に風を送る約束をして、そこから人とポケモンが協力し合い、今では立派に発展した街となった。そして、それからは年に一度ルギアを迎え入れる風祭りを行っている。
風祭りのタイミングでフウラシティを訪れたサトシは街色々な人と出会う。そして、サトシと出会った人々が交錯し合い、それぞれが抱える課題やポケモンとの絆を描くみんなの物語。
【感想】
サトシを絶対的主人公として位置づけつつ、人々がそれぞれポケモンとの絆を結んでいく群像劇になります。ポケモン映画にしては異例の群像劇という試みに興味を惹かれますし、実際に話がきれいにまとまって面白かったです。
「ポケモンパワー = 1人ではできないこともポケモンと一緒ならできる気がする!」がテーマで、サトシがそれを振りまき、勇気づけられた人々が身近にいてくれるポケモンを信じて一緒に頑張るというストーリーになっています。サトシ以外の主要人物は5人と結構多いため最低限レベルの描写しかないのですが、彼らが抱える課題を描きつつ相互作用で事件を発生させて最後に回収する流れを考えると絶妙な人数で上手く書かれていると思いました。また、この映画には幻のポケモン・ゼラオラも登場するのですが、安易に人間の言葉を使わせずに関係性を描写していたのも良かったと思います。
劇場で観たときは、サトシの作画が大きく変わったことと「ポケモンパワー」という劇ダサキャッチコピーの印象が強すぎましたが、見返してみると気になる点はそれほどなく楽しめました。
○3位「結晶塔の帝王エンテイ」(Bランク)…第3作、2000年
【あらすじ】
グリーンフィールドという街に住む少女ミーは父親と暮らしていたが、ある日遺跡調査に出向いた父親は行方不明となってしまう。寂しさに暮れたミーが父親の残したパズルカードを触っていると、アンノーンが現れて彼女の想いを具現化する形でエンテイを生み出し、彼女はそれを父親として慕った。
一方、旅の途中でグルーンフィールドにやってきたサトシ達は街が結晶で覆われる現象を目撃する。その様子を心配してオーキド博士とサトシのママも駆けつけるが、母親を望んだミーの願いを叶えるためにエンテイがサトシのママを連れ去ってしまう。サトシはママを連れ戻すために結晶でできた街を潜り抜けミーのいる塔の上を目指す。
【感想】
ビデオテープが家にあったのですが、そのビデオを観た記憶がないため初めて観たのは数年前でした。最初期の映画は結構丁寧な作りをしている印象があったので、それに違わず面白かったです。
好きな点はカスミやタケシがサトシの仲間として見せ場があることです。塔を登っていく過程で具現化されたミーとポケモンバトルをするのですが、2人とも「ここは任せて先に行け!」とあるあるの熱い展開を見せてくれます。そんな風に序盤は塔の上を目指すアドベンチャーですが、終盤は心閉ざしたミーを外の世界に連れ出す物語でもあり、カスミやタケシの活躍があるだけに「外に出ると本当の仲間ができる」という言葉に説得力が生まれます。
また、劇中ではサトシと離れて修行をしていたリザードンがピンチの場面で駆けつけます。ここはサトシとリザードンが別れた過程を知っていると熱い展開であることが想像される(私は知らない)のですが、それだけでなくリザードンvsエンテイのバトルシーンはスケールが適度に合っていることもあって結構面白かったです。
圧倒的な力を持つ伝説ポケモンがいるわけでもなければ世界に危機が訪れるわけでもないので、他のポケモン映画に比べるとスケールは小さく感じるかもしれませんが、ストーリーやテーマ性がしっかりしているところが好みでした。
○2位「幻のポケモン ルギア爆誕」(Aランク)…第2作、1999年
【あらすじ】
ポケモンコレクターのジラルダンは海の神・ルギアを呼び出すための伝承を読み解きファイヤー・フリーザー・サンダーの捕獲を目論む。この3匹の伝説ポケモンはそれぞれ自然の調和を成り立たせているのだが、ジラルダンがファイヤーを捕まえたことで世界的に異常気象が発生し始める。
そのせいかサトシ達も海で嵐に見舞われて、オレンジ諸島の最果てと言われるアーシア島に漂流する。アーシア島では年に一度の祭りが行われており、巫女フルーラから祭事の操り人に任命されたサトシは火の島・氷の島・雷の島から宝玉を回収する役目を引き受けることに。そして、辿り着いた火の島で縄張りを広げんとやってきたサンダー・それを狙うジラルダンと相対する。
【感想】
当時劇場で観ました。幼心ながらに面白かったと感じた記憶があったので、ルギアがカッコいいとかフルーラの音楽が神秘的とか雰囲気と思い出補正が強いだけの作品かもと思っていましたが、いま見返してみても作品のテーマ性が一貫していたりで面白かったです。
やはり、この映画の印象的なシーンと言えばロケット団がサトシに手を貸すところでしょうか。元々は祭事のために宝玉を取りに行くだけの話だったのがいつの間にか世界を救う話にまで発展していて、移動手段をなくして途方に暮れるサトシの前に「世界を守るために悪も正義もありゃしない」と颯爽と現れるロケット団のカッコよさは随一でしょうか。また、自分が世界を救うことの大きさに戸惑うサトシ少年やカスミとフルーラがそれぞれの役目を担うシーンは等身大の想いが描かれていて好きです。
気になる点と言えば、サンダー・フリーザー・ファイヤーに伝説としての気品が少し足りないくらいでしょうか。ルギアが「生き物にはそれぞれの世界がありそれを侵してはならない」と語る一方で、自らの縄張りを意識して暴れ回りサトシ達の前に立ちはだかっている様は落差が大きいなと思います(それによってルギアを立たせている側面はありそう)。
余談。幼いとき主題歌はサビ部分しか覚えていなくて、それでもカッコいいと思っていたのですが、大人になるにつれて「小室哲哉楽曲はだいたい自分の肌には合わない」ことを感じていて、今回見返してて通して聴いたときにやっぱり合わないと感じたのが面白い経験でした(
○1位「七夜の願い星ジラーチ」(Aランク)…第6作、2003年
【あらすじ】
サトシ達は千年に一度7日間だけ現れる千年彗星を見るために遊園地にやって来た。人気マジシャン・バトラーのマジックショーを見ている最中にマサトは不思議な声を聞き、千年彗星と同じように7日間だけ目を覚ますポケモン・ジラーチと出会う。マサトはジラーチのパートナーとして仲を深めていくが、それはジラーチの力を実験に利用しようとするバトラーの計画だった。サトシ達はジラーチをバトラーから守るために、ジラーチが再び眠りにつく地・ファウンスを目指す。
【感想】
昔のTV放映か何かで観たものの、メタグラードンと主題歌の印象しか残っておらず。記憶がないということは別に面白くなかったのかなと思っていたのですが、その期待を大きく覆される嬉しい結果となりました。
7日間という期限付きであるため、時間を過ごしながら仲を深めても最後にはお別れをしなくてはいけないことが分かっている切なさを感じる序盤。クライマックスでは気味悪いメタグラードンの絶望感とボーマンダ・フライゴンに乗ったスピード感のあるアクション、と見どころが多いです。
また、本作における悪役キャラであるバドラーが魅力的です。研究者としての成果がマグマ団に認められず見返したい一心でジラーチを利用しようとしていて、序盤はサトシ達を騙してジラーチに第三の目を無理やり開かせようとするなど悪役として残虐な一面を見せます。しかし、後半でダイアンが彼を庇ってメタグラードンに飲み込まれたのを見て改心して、最後にサトシと共闘する展開はすごく人間らしさが出ていてとても好きです。
すごく細かいですが気になった点は2つあって、1つはダイアンがメタグラードンに飲み込まれる際にバドラーに残した言葉が「愛してた」だったこと。ダイアンの想いの強さがすごく明快に伝わる言葉ではあると思いますが、台詞だけ切り取ると薄っぺらく感じてしまいました。もう1つはハルカの子守歌が「ルルル~♪」の音で歌われること。歌詞のないメロディだったとしても、ルの音だと鼻歌で歌えなくて不自然に思いました。 そういう些細なことしか気にならないくらいには面白いと感じました。